優しい心を育むカトリック教育

2017/02/13

師道 その三

 2017年2月13日(月)

 

今から40年も前の話になるが,初めて勤めることになる学校の面接に出かけた。

 

土曜日の午後誰もいなくなった運動場横のコンクリートの道を歩いて,校舎の入り口を探すがそれらしい場所が見当たらない。もう一度運動場の入り口に戻り,麦わら帽子をかぶり首にタオルを巻いて,校舎前の木々に散水をしている初老のおじさんに尋ねてみた,「すいません。面接試験に来たのですが,入り口はどこですか?」初老の男性は,水を止め帽子を脱いで首のタオルを外し「遠くからお越しいただいて申し訳ありません」と深々と頭を下げられた。こちらもつられて頭を下げ「いえ」とだけ答えた。

 

彼は,御親切に,「入り口がわかりにくいでしょ。児童と同じ場所ですから」と,応接室まで案内してくださった。やっぱり私学だな,親切で丁寧だなぁとぼんやり思っていると,先ほどの男性とシスターが応接室に入ってこられた。二人の顔を見た瞬間「あっーっ」「まずい」とっさに心の中でつぶやいた,暑いのに面接に来るのがわかっているのに,案内表示も出さないなんてと,ちょっと怒ったように校舎の入り口を訪ねたさきほどの男性は,麦わら帽子をかぶって水やりしていたおじさんは,教頭先生だった。

 

わたしが教師になってから,彼はいつも微笑んで教え諭してくださった。新卒の教員がその年,6人いた。今から思うと6人も新卒採用となると教員教育が大変だったと思う。若い我々が教育方法の改善が必要だ,行事が古い,旧体制を変えるべきだと傲慢なことを言いだしたときも,ゆっくりゆっくり,諭してくださった。落ち葉の季節は,竹箒を手にしておられた。暑い夏には草木に水撒きをし,雪が積もった時には,雪かきをしておられた。そんな姿に新卒生意気6人は育てられたと思う。

 

穏やかさの中で育てていただいたのだと,教育に携わって40年経ってやっとほんの少しであるが,教育の深層が理解できたような気がする。あの恩師と私が出会い,今私が当時の恩師の年になって,師道の入り口にたどり着いたのか不安に思う。

 

彼は,静けさと微笑みで教育をしておられた。宗教の授業は自作の紙芝居をして子どもたちを引き付けておられた。ネクタイ姿よりも,作業服で箒を持って歩いておられた姿の方が印象に残っている。校舎の中も外も,何時も掃き清めておられた。広島での被爆経験を時々お話してくださったが,ご自身の被爆経験より,たくさんの友を亡くされたことを何時も悔やんでおられた。私自身彼のような教師にはなれないが,彼の姿や生きざまを若い先生たちに語り伝えたいと思う。教員免許にはない「道」を一人でも多くの先生に伝えたい。そんな思いの立春の候。

 

「菜の花や 小学校の 昼げ時」 正岡子規

 

次の言葉の「親」を「教師」に置き換えて読んでみよう。慕われる先生になるために。師道を悟るために。

 

アノネ 親は子供を みているつもりだけれど

子供はその親をみているんだな

親よりも きれいな よごれない 眼でね

 

gakuintyo-20170213

 

相田光男(あいだ みつを) 詩人・書家

生年月日:1924520

出  身:栃木県足利市

人生の中での様々な気づきを与えてくれる詩を独特な書体で表現した作品で,多くの方に支持されている。

帰  天:19911217

 

 

 

 

 

 

学校法人賢明学院 学院長 中原 道夫