優しい心を育むカトリック教育

2017/03/23

『希望は頑丈な杖で、忍耐は旅の着物。』 ローガウ(ドイツの詩人 / 1604~1655)

2017年3月23日(木)

 

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入学式の象徴の木ともいわれる「桜の木」は,いつ花咲く準備をしていたのでしょう。枯葉が落ちた後,枯れ木のたたずまいで五か月間を過ごし,卒業式のころには新しい芽が姿を現し,冬の間に咲く準備をしていたことが見て取れるようになります。見えないところでの営みが,見えるようになるのは,人生の中でほんの一時かもしれません。人生には,目標や望みを持つことが必要でしょう。しかしそれだけでは,枯渇した人生になるかもしれません。徳を積まないといけないのではないでしょうか。「義・礼・智・忠・信・孝・悌」を意識した人生計画が必要ではないでしょうか。

 

高校生活の三年間,順調に生活をできた生徒もいれば,友人との人間関係や体調の不良によって,普通と考えられている生活を過ごすことができなくなる生徒もいます。朝起きて,学校へ行き,授業を受け,友達とおしゃべりし,下校するという一見普通と思われる生活に,困難を感じている生徒がいるのが現実です。

 

普通と言われる生活を全員が営むことが,はたして正しいことなのかと考えさせられます。みなさんも一度考えてほしいと思います。

 

神から,その存在を認められ神から愛されている一人ひとりの生徒にとって,それなりの生き方を認めることが,どんなに大切であるかを卒業式の答辞で教えられました。通信課程の生徒の答辞を一部抜粋させてもらいました。皆さん,共に考えてみませんか。

 

 

私たちは三年前,期待を胸に入学しました。いざ入学してみると,人間関係の難しさや煩わしさ,さまざまのことで悩みました。次第に学校へ行きづらくなり,遅刻や欠席が続くようになりました。先生がたの救いもあって,何とか一年二年と進級することができましたが,毎日学校へ行くという当たり前のことが難しくて,なりたい自分とのギャップや当たり前のことができない情けなさで毎日つらかったです。 (中略) 通信課程に変わることについて,多くの大人から否定的なことをいろいろ言われました。今から思えば,通信課程の現状を知らない人の偏った見方だとわかりますが,卒業できるのかどうかわからないという不安や,転入しても続けられるかどうかわからない自分に自信が持てない状況の中で,周囲の偏見によって余計に不安が募りました。 (中略) はじめは大学に進学するつもりもなかったし,自分には行けないと思い込んでいましたが,「自分でもやれるかもしれない」という気持ちになれて,大学への合格を手にしました。全日制課程のように毎日学校に行きませんが,その環境の中で一人ひとりが自分のペースで自分の目標に向かって努力しています。多くの先生や友達,そして家族には数えきれないほど迷惑かけてきました。何もかも諦めかけた時もありました。 (中略) こんな私を見捨てずに支えてくれ,通信課程に行かせてくれた両親,先生がた,友達には感謝してもしきれません。

 

後輩の皆さん,通信課程に通う私たちにはそれぞれなかなか理解してもらえない問題や,自分でもどうしていいかわからない気持ちや,体調を抱えてつらい経験や苦しい思いをしました。だからこそ,弱い立場やつらい思いをしている人に寄り添うことができるはずです。今いる仲間を大切にし,新しく加わる仲間を気遣かって下さい。そして,自分で自分の可能性を狭めてしまわずに,自分を信じて前進してください。きっと,自分が望む未来が手に入るはずです。 (中略) どんなときにも私たちをゆるし,受け容れてくださったお父様,お母様,本当にありがとうございました。心の中で何度「ごめんなさい」と言ったかわかりません。しかし,素直に言葉にできず,時には反抗し自分の殻に閉じこもったこともありました。「本当にごめんなさい」()

 

 

切々と語られる言葉に聞き入り,心を打たれました。

人を大切にすることが込められた答辞でした。

人への寄り添い方を,教えてもらった答辞でした。

 

学校法人賢明学院 学院長 中原 道夫