優しい心を育むカトリック教育

2017/04/06

枝の主日

2017年4月6日(木)

 

西暦400年ごろ書かれた「エテリアの聖地巡礼記」という記録書には,そのころのエルサレムにおける教会の典礼が詳しく書かれています。その中に,「受難の主日」(当時は「枝の主日」とよばれていました)とよばれている主日のことが記載されていて,エルサレムにおける枝の行列は,受難の主日のミサの後に行われていたと書かれています。しかし現在の典礼では,開祭の部で行われています。

 

「枝の主日」この言葉を聞くと,何のことかと思う人もいることでしょう。枝がカトリックとどんな関係があるのか?聖書を開いてみましょう。するとエルサレム入城の場面に「枝」とカトリックの関係が見つかります。イエスのエルサレム入城の場面はどの福音書にも記されています。

(マタイ21111・マルコ11111・ルカ192840・ヨハネ121219

 

MATTHEWマタイによる福音書の21章『さて、彼らがエルサレムに近づき、オリーブ山沿いのベテパゲに着いたとき、イエスはふたりの弟子(でし)をつかわして言われた。「向こうの村へ行きなさい。するとすぐろばがつながれていて、子ろばがそばにいるのを見るであろう。それを解いてわたしのところに引いてきなさい。 もしだれかが、あなたがたに何か言ったなら、主がお入り用なのです、と言いなさい。そう言えば、すぐ渡してくれるであろう」。 こうしたのは、預言者によって言われたことが、成就するためである。 すなわち、「シオンの娘に告げよ、見よ、あなたの王がおいでになる、柔和なおかたで、ろばに乗って、くびきを負うろばの子に乗って」。 弟子(でし)たちは出て行って、イエスがお命じになったとおりにし、ろばと子ろばとを引いてきた。そしてその上に自分たちの上着をかけると、イエスはそれにお乗りになった。

 群衆のうち多くの者は自分たちの上着を道に敷き、また、ほかの者たちは木の枝を切ってきて道に敷いた。

そして群衆は、前に行く者も、あとに従う者も、共に叫びつづけた、「ダビデの子に、ホサナ。主の御名(みな)によってきたる者に、祝福あれ。いと高き所に、ホサナ」』

 

この場面が,受難の主日で再現されるのです。イエスは大歓迎を受けてエルサレムに着きますが、棕櫚の枝を道に敷き,上着も脱いで道に敷いて歓待した人々は,数日後様変わりします。人々と弟子に裏切られ,イエスは磔刑の刑に処せられます。最後の晩餐・十字架の道行き・キリストの死・復活と続いていくこの場面は,カトリック教徒にとって非常に大切な信仰の象徴としての典礼です。

 

Hourglass in the dawn time

 

受難の主日に始まる聖週間は,わたしたちの主,救い主イエスへの愛と共に,謙遜の道をまっすぐ生きるようにと私たちを導きます。キリストは,自ら進んで敵の手に自分を渡し,苦しみと死を迎え,そして人々に教えてきたことをキリスト自身が苦しみの中ですべて行われました。「敵を愛し,あなたがたを憎む者に親切にしなさい」(ルカ6:27)と命じたキリストは,侮辱を浴びせる人々のために「父よ,彼らをお赦しください」と祈られます。 臨終の場面においても人々に希望を与えてきたキリストは,十字架の上から隣の十字架にかけられ回心した盗賊にも「あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」と希望を与えました。

 

2017年の典礼歴(聖週間)

4月  9() 受難の主日  枝の行列

413() 聖木曜日   イエスが,弟子の足を洗った場面が再現

414() 聖金曜日   十字架の崇敬が行われる

415() 聖土曜日   キリストのシンボルであるローソクの祝福と、光の行列

4月16() 復活祭    復活を記念してイースターの卵が配られる

 

カトリック校に関係したみなさん,一度教会を訪問してみませんか。普段のミサと異なった典礼の体験ができます。

 

学校法人賢明学院 学院長 中原 道夫