優しい心を育むカトリック教育

2017/08/28

蝉の声

 

2017年8月28日 

 

gakuintyo-20170825

 

夏休みが終わった。

 

生徒の立場ではないが,休みが終わるのは残念な気分になる。夏休みがどんどん短縮されていく時世の今,長期の休みだからこそ体験できたさまざまな行事や伝統は,引き継がれていくのだろうか。

 

つい先日,買ってもらったばかりなのだろうか,真っ白な虫取り網を持った少年を見かけた。少年は木の横にある大きな石によじ登り,爪先立ちの姿勢で虫取り網を高く伸びている木の枝先に懸命に這わせている。しかし残念ながら,やっと届いた網の隙間を蝉はかいくぐって,ひときわ高い鳴き声と共に飛び去ってしまった。

 

最近の子どもは,蝉取りが下手だなと思った。蝉取りの網は,ある程度小さいものでないと,木の幹に網がうまく接着しない。小さい網でないと,木の幹と網の間に大きな隙間ができてしまい,蝉がいとも簡単に逃げてしまうのだ。針金を曲げて輪を作り,使わなくなった蚊帳の布きれをもらい,自作の網を作って,蝉を何匹とれることができるかと,友達と競争したのも,長い夏休みだったからこそできたのではなかったかと思う。

 

鳥黐(とりもち)なる物を使うのは,僕たちの流儀ではルール違反だった。鳥黐は蝉の羽をダメにしてしまい,蝉取りが終わった後,虫かごから一斉に放つときに,飛び立つことが出来ないからだ。蝉を一斉に放つときの騒音ともいえる蝉独特の鳴き声は,狩人となった僕たちにとっての醍醐味であった。子どもの知恵の限りを尽くして,蝉を捕る。そして捕まえたら,今度は一斉に空に向かって放つ。この蝉捕りは,なんとも爽快な遊びだったと,今も記憶している。

 

思い出してみると,虫取り・魚釣り・夏祭り・花火大会・キャンプ・盆踊り・地蔵盆など,結構たくさんの楽しみが,夏休みにはあったものだ。今,子どもの夏祭りや地蔵盆の世話をする立場になって,子どもの数が減ってきていることも実感するが,催しの場にテレビゲームやパソコンのゲームを準備しておかないと人気が得られなくて,子どもたちの参加が悪くなるというのも時代の表れだろう。

 

夏休みが終わっても気温は相変わらず高い日が続くが,夏の果て(なつのはて)が近づき,過ぎ去っていく夏の哀惜の念が込められている言葉が似合う頃となった。「夏終る」「暮の夏」「夏惜しむ」「夏の別れ」などの夏の終わりに適した言葉があるが,一番夏の季節を臨場していた蝉の声が,すっかり少なくなってきていること,このことに私は夏の過ぎ去りゆくさまを痛感している。それと同時に,昔あったものやいたもの,また行われていたことが,徐々に無くなっていくことにも哀愁を感じる。 年を取ったのかな・・・・。

 

私が子どもだった頃は,現在のように何でも売っている時代ではなかったから,誰もが子どもなりに創意工夫をして自作の物を作っていたのも夏休みの時期だった,魚釣りの重りもソーセージの留め金を利用したし,カブトムシもお店では売っていなかったので,周りの自然の中で自分で捕まえるしかなかった。今の子どもたちには信じられないだろうが,長かった夏休みの間は,それなりにいろいろと自分のIdeaを駆使出来た時であった。不便さの中での自由を感じられる,貴重なひとときとなっていたように思える。

 

この夏休みの反省として

Hast thou not gone against sincerity?                             真心に反することはなかったか

Hast thou not felt ashamed of thy words and deeds?         言葉と行いに恥ずべき所はなかったか

Hast thou not lacked vigour?                                         精神力に欠いてはいなかったか

Hast thou exerted all possible efforts?                            十分に努力をしたか

Hast thou not become slothful?                                     最後まで全力で取り組んだか THE BEST

 

学校法人賢明学院 学院長 中原 道夫