優しい心を育むカトリック教育

2017/11/03

賢明の文化

11月3日は,学校が休みの日。文化の日としては,教えなくなったのかな・・・・・。

 

この日は確かに国民の祝日だが,1946年に11月3日は「自由と平和を愛し,文化をすすめる日として定められ,新憲法公布の日,文化勲章の授与などの行事が行われる日」と決められたとは,教えなくなったのかな。70年も経てば真意は,消えていくのだろうか。日本国憲法の改正等が取り上げられるようになって,新憲法を記念する意識が,薄れてきたのだろうか。日本国憲法は、国民主権、基本的人権の尊重、平和主義の3つの原理に基づいているのは,戦争を経験した国だからであり,世界に平和を訴える使命は,我々にあると確信しているからではないだろうか。被爆国として,平和である必要性を後世に伝えるべきだと確信しているのだが,世相は随分変わりつつある。まして,もともと11月3日は明治節であるなどと言い出したら,化石扱いされるのだろう。然し,史実は史実としてしっかり伝えたい。

 

11月3日は,1946年に日本国憲法が交付された日。日本国憲法は,平和と文化を重視したものであるため,『文化の日』として国民の祝日に制定された。そして日本国憲法が施行された5月3日を記念して制定された祝日が『憲法記念日』であると伝えたい。単に連休の一日や,学校が休みの日,ゴールデンウィーク等という包括された言葉の中に,埋没してしまうことがないよう意識したい大切な日だと思う。

 

では,学校の文化とはなんだろう。

 

「今日こんなことがあったんですよ」と,理事長様がにこにこして部屋に入ってこられた。

 

雨の中,理事長が駅から学校へ向かっている途中の道で,下校途中の中学生の一団に遭われたそうだ。先頭を歩いていた生徒が,雨の中にもかかわらず傘を下して立ち止まり,一礼したそうだ。理事長様が,にこにこしておられた理由がわかった。降り注ぐ雨の中,生徒は挨拶をするのに,とっさに傘を下さなければと思ったのだろう。その素直な心が,態度にあらわれた一コマだったと思う。

 

挨拶は,人の心を温かくしてくれる。一人の生徒がとっさにとった行動だが,ここに『賢明の文化』があると思える。理屈や理論ではなく,その人の普段の行いに基づいたものが,文化の根底と言えるのではないだろうか。挨拶という行為を,賢明生の生活行動の規範の一つとしている本学にとって,このような生徒が一人でもいることは誇らしく感じる。

 

学院の文化は,校風の中に根付いているものだと思う。先輩から引き継いだことを継承している生徒たち,毎朝の「調身・調息・調心」の指示で,校内が静寂に包まれる「とき」,幼稚園児から高等学校の生徒まで全員が,手を合わす「とき」,創立者の言葉の一言一言を,教職員一人ひとりが真摯に受け止めている「とき」,おにぎりの日・お漬物の日・粗食の日として定めた日に,恵まれない子どもたちへの実践をしている「とき」,この大切な一つひとつの「とき」に,賢明学院の文化が息づいている。

 

gakuintyo-20171101-03b

 

賢明の文化の根底にあるもの

 

『愛は寛容であり、愛は情深い。また、ねたむことをしない。愛は高ぶらない、誇らない、

不作法をしない、自分の利益を求めない、いらだたない、恨みをいだかない。

不義を喜ばないで真理を喜ぶ。

そして、すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを耐える。

愛はいつまでも絶えることがない。』

 

(新約聖書コリントへの第一の手紙134節-8節)

 

学校法人賢明学院 学院長 中原 道夫