優しい心を育むカトリック教育

2017/11/06

夢 希望 未来

いつもと違って今日の午後は,保護者と一緒に児童が下校している。懇談会があった今日の水曜日,親子一緒の下校となったそうだ。

 

久しぶりに親子一緒に下校する子どもたちの顔は,ウキウキしている。親子一緒は,子どもたちにとってかけがえのない時間なのだろう。ウキウキしている子どもたちは,みんな大切そうに何やら大きなものを抱えている。いったい何を抱えているのかと近づいてみた。

 

「大きな物作ったね。すごいね。それは何?」ありきたりの質問をすると,「僕の夢」と目をキラキラさせて教えてくれた。はたしてその回答が,指導の先生の意図と合致しているかどうかは定かではないが,この子はこれを創る時,未来を創造し夢を膨らませていたのだろう。その大きな作品は,40cm四方ほどの大きさの上蓋を利用したものだった。上蓋の中に,色紙で作られたもの,プラスチックのコップに着色したもの,また小さな箱で作られた建物らしきものが,所狭しと取り付けられていた。

 

この作品を見たご両親は,どんなふうに称賛するのかな? 子どもが作った作品には,時として理解が困難な作品がある。しかし,それは大人の尺度で,ある意味常識や一般的という物差しで,作品を評価してしまうからなのかもしれない。これでは,子どもの創造性や未来への可能性は,予見できないのではないだろうか。

 

 世界的に有名になった絵本作家が語って下さった,彼女の幼年期の絵の話を思い出した。「キリンさんの絵を描きましょう」と言われて,彼女はキリンさんを緑色で塗ったそうだ。その作品を見てご両親は,この子は何かおかしいのではないか,普通の子のようではないと感じ,心理診断テストを受けさせたそうだ。当時,彼女は,親にこう説明したとおっしゃった。「キリンさんは葉っぱを食べるでしょ。だからキリンさんは緑色になるの」その女の子は,今,世界的に有名な絵本作家になっている。緑色に塗った少女の発想と理由を,大人たちが受けとめられたことが,結果的に彼女の才能を開花させた例だと思う。

 

もしその時,「キリンさんの色はね」とか,「この色が正しい色なの。あなたは,間違っている」などと指導をしていたら,貴重な才能は,一つ消えていたのではないだろうか。大人になると,「夢」や「希望」が喪失されてしまうのだろうか。

 

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私たち大人は,子どもの「未来」をどのように手伝えるのだろう。

なぜ大人たちは,数字と現実という物差ししか,持てなくなったのだろう。

 

『大人たちは数字を見れば安心するからです。』

もしあなたが大人たちに対して「バラ色のレンガでできた、とても美しい家を見ました。窓にはゼラニウムの花が飾ってあり屋根には鳩がとまっていました。」と言っても大人たちはそれがどんな家なのかまったく見当もつきません。

 

その代わりに、あなたがこう言ったとしましょう。 「12千万円の家を見ましたよ。」

すると彼らはこう言うでしょう。「それはさぞかし素晴らしい家だったでしょう!」

 

おとなたちは本質的なことについては何も質問しない、と王子さまは言います。

新しくできた友達についても次のような質問はしません。

・どんな声をしているんですか?

・どういう遊びが好きなんですか?

・蝶々は集めていますか?

 

その代わりに、こんな質問をします。

・何歳ですか?

・きょうだいは何人いますか?

・体重は何キロですか?

 

引用:『星の王子さま』(ゴマブックス株式会社)

 

学校法人賢明学院 学院長 中原 道夫