優しい心を育むカトリック教育

2017/12/24

「仁義礼智信」

gakuintyo-20171224

 

"伊達の五常訓"と言われている教えがある。

五常(または五徳)は,儒教では人が常時守るべき項目であり,これらを充実させる事により,人の道を全うする事が出来ると説かれている。

 

仁に過ぎれば弱くなる。   

→親しみ,慈しみ,情け深くある思い遣りのある心

義に過ぎれば固くなる。   

→正しい道や道理にかなった事,人道に従う事私を捨て公の為に尽くす行い

礼に過ぎればへつらいとなる。

→私利私欲を捨て,人のふみ行うべき道社会生活上の定まった礼儀礼節

知に過ぎれば嘘をつく。

→人や物事をよく知り善悪の正しい判断をする力,偏りのない考え方

信に過ぎれば損をする。

→欺かない事,真実で偽らない事,誠実,信頼

 

気ながく心穏やかにして、よろずに倹約を用い金を備うべし。 倹約の仕方は不自由を忍ぶにあり、

この世に客に来たと思えば何の苦もなし。

朝夕の食事は、うまからずとも誉めて食うべし。

元来、客の身なれば好き嫌いは申されまい。今日の行くを送り、子孫兄弟によく挨拶して、 娑婆の御暇(おいとま)申するがよし。

 

人を大切にし過ぎれば,相手の為にならない。正義を振りかざすと,融通が利かなくなる。礼儀正しさが過ぎると,相手には嫌味になる。頭がよすぎると平気で嘘をつく。他人を信じ過ぎると損をする。という訓示だ。

 

間もなく賢明学院を巣立っていく園児・児童・生徒に伝えたい,日本ならではの処世術だ。この教えは,真実をごまかせと言う意味ではない。真実に生きるからこそ,備えておくべき術と理解すべきであろう。Balanceと言っても,過言ではないだろう。

 

三学期になれば卒業式のための準備,学年のまとめ,すべてが節目への動きへと変わる。先生がたも多忙になるが,節目となる時は,人生の中で意味深いものだと思う。節目は自分の過去を振り返る時であり,将来を考える時でもある。高校を卒業して行く生徒たちは,守られてきた人生から,自身の真価を問われる社会への一歩を踏み出す時を迎える。自己責任と言う言葉が,ひしひしと感じられる世界へと進むことになる。カトリック校で学んできた皆さんに,新約聖書のヨハネの手紙を読んで欲しいと思う。

 

【ヨハネの手紙第一 3:1618

 キリストは、私たちのために、ご自分のいのちをお捨てになりました。それによって私たちに愛がわかったのです。ですから私たちは、兄弟のために、いのちを捨てるべきです。世の富を持ちながら、兄弟が困っているのを見ても、あわれみの心を閉ざすような者に、どうして神の愛がとどまっているでしょう。子どもたちよ。私たちは、ことばや口先だけで愛することをせず、行ないと真実をもって愛そうではありませんか。

 

学校法人賢明学院 学院長 中原 道夫