優しい心を育むカトリック教育

2018/02/06

帰天の日

― 私たちの国籍は天にあり(フィリピの人々への手紙3:20) ― フランシスコ会訳

 

帰天(きてん)とは文字通り,天に帰るという意味だが,カトリック独特の表現の為に,他宗教の人からは,何らかの疑問を持たれることがしばしばある。私たちの信仰において,この世に生きていることと,この世を去り,天の国で生きることとは,つながっていると考える。私の「命」は,生物としての終わりを迎えるが,私という「いのち」は,神に愛し続けられているのだから,死によって何かが決定的に変わってしまうのでも,終わってしまうわけでもない。本質的に,「神に愛されている私」のままと,考えるべきである。死によって私が終わってしまうのではなく,私の知らない神の世界に,また神のもとに,私が帰っていくという理解だと考えられる。

 

親しい人が亡くなるということは,悲しいことには間違いない。例えば,同窓会と称して月末の月曜日に毎月集まっていた仲間の一人が亡くなった。普段はそんなに連絡したり,頻繁にあったりしなかったけれど,中学・高校・大学と十年もの間,共に生活をしてきた友が亡くなったりすることは辛いものだ。しかし亡くなったこと自体は悲しいことだが,彼との思い出は私の中に,いつまでもずっと生きている。彼の実態は認識できなくても,彼は彼の友達だった人の認識の中に生き続けている。彼を見ることも,彼と会話をすることもできないが,神との新しい関係に彼は入ったということを生きている私たちは知り,ただの別れではないと理解する。

 

創立者の帰天日に私たちは,「死者」を思い起こすよりも,「死者から思われていること」を,「創立者が願っていたこと」を思い起こす日だと,気付かされる。

 

フランス革命のさなか, 1796年11月21日 聖マリアのご奉献の祝日に,南仏ヴィヴァレ地方のチュエイで 当時28歳のマリー・リヴィエは4人の同志と共に,隠れ家の屋根裏で神に奉献し,聖母奉献修道会を創立した。

 

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≪このエネルギーを私たちは思い起こすべきだろう。≫

福者マリー・リヴィエは1768年に小さな山村モンプザの熱心なカトリック信者の家庭に生まれた。 彼女は幼児期に起こった転落事故のため歩くことができなくなった。 信仰篤い母は毎日,この子を近くの小聖堂のピエタ像のもとへ連れて行った。 幼いマリー・リヴィエはピエタの足元で毎日, 聖母マリアとの語らいを続け, ついに4年後,再び歩くことができるようになった。

≪この信仰のエネルギーを私たちは思い起こすべきだろう。≫

 

総長 スール・アンジェル・ディオンのメッセージより抜粋

私たちの学校が常にマリー・リヴィエのしるしを保つには,彼女がされたようにキリスト者としてのアイデンティティを明確にしなければなりません。彼女の時代にも,学校をキリスト教的にすることは容易ではなかったことを歴史は語っています。「言葉によって,またそれ以上に行為によって,イエス・キリストが告げ知らされる手段」はどのようなものでしょうか?マリー・リヴィエにとって,行為は言葉よりもずっと大切でした。人々は彼女の言うことよりも,することを見ていたのです。現代の若者も彼女の時代の若者と変わりはありません。

 

『若者の心に善い種を蒔くならば,やがて実を結ぶことを,私は経験によって知っています。』 

(創立者:マリー・リヴィエ)

 

風にも嵐にも負けず,彼女自身がされたように,若者たちに対する私たちの使命を果たし続けることができますように,マリー・リヴィエが聖母奉献修道会のすべての教育者を助けてくださることを祈ります。

 

学校法人賢明学院 学院長 中原 道夫