優しい心を育むカトリック教育

2018/02/16

ルルドの聖母

高校二年生が,フランス研修の折に訪問する町の一つに,ルルドがある。ピレネー山麓ふもとの小さな町「ルルド」,この巡礼地に,年間500万人の人々が世界各地から訪問してくる。

 

聖母マリアは,当時14歳の少女ベルナデッタの前に,ここルルドでご出現なされた。そしてベルナデッタは,ヌヴェール市にあるサン・ジルダール修道院(ヌヴェール愛徳修道会)に,その後入会する。今年はご出現160年目にあたることもあり,本学のフランス研修の訪問地に,ベルナデッタが生涯をすごしたヌヴェール市を加えた。生徒たちが,彼女の生涯を通して,世界の貧困・差別の問題など,これからの世界が解決していかなければならない問題に気づき,ヌヴェール市に滞在する貴重な時間に,キリスト教的視点で問題を見つめ,解決者となることを期待している。

 

1858211日,ベルナデッタは,妹のマリー・トワネットと隣家のジャンヌ・アバディーとともに,昼飯の支度のための薪を拾いに,ルルドの町はずれ,マッサビエルの洞窟に向かった。彼女たちは,ポン・ヴュー橋からポー川を渡り,シュベルカレールの森へ向かう道をたどって,サヴィの水車小屋を動かしている水路の橋を渡った。そしてシャレ島と呼ばれていた,中州にあるサヴィの牧草地の西端から川を渡り,薪を拾う場所へと向かった。妹と友達は川を先に渡ったが、ベルナデッタは喘息の発作を恐れ,足を濡らさず川を渡れる場所を探したが見当たらなかった。そこで彼女は,やむなく川を渡る決心をして,片方の靴下を脱いだとき,風の音のようなものが聞こえたので振り返ったが,何も見えなかった。もう片方の靴下を脱ごうとすると,また大きな風の音がした。すると木の枝が揺れ動き,洞窟上部の暗いくぼみに柔らかい光が射し込み,そこに白い服を着た女性がほほえみをたたえて,ベルナデットを見つめていた。

 

 

その女性から「15日間,ここに来るように」と言われたベルナデッタは,洞くつに通い続けた。その間,ベルナデッタは「罪を償うこと,この場所に聖堂を建てること」など,聖母マリアからのメッセージを人々に伝えた。彼女のもとに聖母は18回現われた。

 

  聖母マリアがベルナデッタに命じて掘らせた泉が,人々の病を癒したことから,いつしかその話が人々の中に広まっていった。綿密な調査の結果,カトリック教会は,ルルドに聖母が現われたことの真正を認めた。泉の水による不治の病の治癒例が多く見られ,教会が公認したものだけでも,68例の奇跡があるとされている。 「   」はベルナデッタの言葉を引用した。

 

ベルナデッタ・スビルー(Bernadette  Soubirous

生誕  184417

    186677日 ヌヴェール愛徳修道会に入会

帰天  1879416日 35

列聖  1933年12月8日、ベルナデットは教皇ピオ11世によって列聖され聖人となる。

 

遺体は,ヌヴェール市のサンジルダール修道院(ヌヴェール愛徳修道会)の聖堂に安置されている。

1919年と19254月に計3度の遺体鑑定が行われた。

鑑定に立ち会った医師の報告によれば、骨格、腱膜、靭帯、皮膚が完全に保存されていた。特に死後

46年も経過している肝臓が普通の状態といってもよいままに保存されていた。3度の遺体鑑定のため棺

が開けられた時に遺体の一部が傷つき,皮膚が黒ずんできたため、顔と組み合わされた両手の型がとられ、

薄く精巧な蝋のマスクが被せられ,現在に至っている。

 

学校法人賢明学院 学院長 中原 道夫