優しい心を育むカトリック教育

2018/03/27

聖週間 その3 (3-3) ― 鶏がなく ―

 

聖週間の聖書朗読では,イエスの受難の場面が朗読される。すべての福音書(マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネ)が受難の場面を伝えている。この受難の物語を通して教会は,苦しみながら十字架の道を辿るイエスの姿を黙想し,祈るようにと招いている。

 

キリスト受難の出来事がいきいきと再現されるように,聖書朗読がなされる折には,「キリスト」,「語り手」,「群衆」などの役割は分担される。受難の朗読を聞くたびに,いつも私はペトロの事が気になっている。

 

皆が裏切っても私は決して裏切らないと誓うペトロが,いざイエスが捕まり犯罪者とされたとき,平気で「イエスを知らない」という裏切りの言葉を口にする。しかも強く否定する。彼の心理状態の変化は,日々私たちの身近でも起こりうる事であり,自分を守るためなら,人は師も裏切るという人間の心の貧しさを如実に表している。この朗読を聴いて,自分はペトロのようにはならないと思う人が大半であろう。しかし私は,誓う・裏切る・後悔するという,人の心の中で巡るこの繰り返しが,ある意味人生の縮図のように思える。

 

「イエスの言葉を思い出し、外に出て激しく泣いた。」泣かない生き方は,どうすれば実現できるのだろうか。

 

【マタイによる福音書26章より抜粋】

 

31.そのとき,イエスは弟子たちに言われた,「今夜、あなたがたは皆わたしにつまずくであろう。『わたしは羊飼を打つ。そして,羊の群れは散らされるであろう』と,書いてあるからである。

32.しかしわたしは,よみがえってから,あなたがたより先にガリラヤへ行くであろう」。

33.するとペテロはイエスに答えて言った,「たとい、みんなの者があなたにつまずいても,わたしは決してつまずきません」。 34.イエスは言われた,「よくあなたに言っておく。今夜,鶏が鳴く前に,あなたは三度わたしを知らないと言うだろう」。35.ペテロは言った,「たといあなたと一緒に死なねばならなくなっても,あなたを知らないなどとは,決して申しません」。弟子(でし)たちもみな同じように言った。36.それから,イエスは彼らと一緒に,ゲツセマネという所へ行かれた。そして弟子たちに言われた,「わたしが向こうへ行って祈っている間,ここにすわっていなさい」。

 

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55.そのとき,イエスは群衆に言われた,「あなたがたは強盗にむかうように,剣や棒を持ってわたしを捕えにきたのか。わたしは毎日,宮ですわって教えていたのに,わたしをつかまえはしなかった。

56.しかし,すべてこうなったのは,預言者たちの書いたことが,成就するためである」。そのとき,弟子(でし)たちは皆イエスを見捨てて逃げ去った。57.さて,イエスをつかまえた人たちは,大祭司カヤパのところにイエスを連れて行った。そこには律法学者,長老たちが集まっていた。58.ペテロは遠くからイエスについて,大祭司の中庭まで行き,そのなりゆきを見とどけるために,中にはいって下役どもと一緒にすわっていた。

 

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65.すると,大祭司はその衣を引き裂いて言った,「彼は神を汚した。どうしてこれ以上,証人の必要があろう。あなたがたは今このけがし言を聞いた。66.あなたがたの意見はどうか」。すると,彼らは答えて言った,「彼は死に当るものだ」。67.それから,彼らはイエスの顔につばきをかけて,こぶしで打ち,またある人は手のひらでたたいて言った,68.「キリストよ,言いあててみよ,打ったのはだれか」。69.ペテロは外で中庭にすわっていた。するとひとりの女中が彼のところにきて,「あなたもあのガリラヤ人(びと)イエスと一緒だった」と言った。70.するとペテロは,みんなの前でそれを打ち消して言った,「あなたが何を言っているのか,わからない」。 71.そう言って入口の方に出て行くと,ほかの女中が彼を見て,そこにいる人々にむかって,「この人はナザレ人(びと)イエスと一緒だった」と言った。72.そこで彼は再びそれを打ち消して,「そんな人は知らない」と誓って言った。 73.しばらくして,そこに立っていた人々が近寄ってきて,ペテロに言った,「確かにあなたも彼らの仲間だ。言葉づかいであなたのことがわかる」。74.彼は,「その人のことは何も知らない」と言って,激しく誓いはじめた。するとすぐ鶏が鳴いた。75.ペテロは「鶏が鳴く前に,三度わたしを知らないと言うであろう」と言われたイエスの言葉を思い出し,外に出て激しく泣いた。

 

学校法人賢明学院 学院長 中原 道夫