優しい心を育むカトリック教育

2018/04/16

「はい どうぞ」

可愛い子どもたちの愛くるしい姿や動作に,幸せな思いで入園式を終え,園庭から外に出ようとしたとき,新入園児が両手で大切な小箱を捧げ持って,小走りで門に向って走って来た。転ばないかなと心配になったが,満面の笑みで駈けてくる姿は,心を和ませてくれた。手に何を持っているのかと捧げ持つ小箱を見てみると,奉献会(保護者会)から戴いた紅白饅頭の小さな箱だった。すでに熨斗紙はとられて,箱も半分あいている。つい声をかけてみた。「何を,持ってるの?」 園児はにっこり笑って,箱を見せてくれた。「いいなぁ。先生にも一つくれるかな?」 園児はにこにこしながら,私の好きな白いおまんじゅうを,何の躊躇もなしに手渡してくれた。私は,何か悪いことをしてしまったような自戒の念に駆られて,「ありがとう。優しいんだね。じゃぁ,これ,お父さんにあげてね」と,大切なお饅頭をそそくさと,箱の中に戻した。

 

あんなにキラキラしている眼差し,何の躊躇もなく自分のものを相手に差し出すことのできる純粋な心に出合って,この子たちをしっかり守り育てなければと,決意した一シーンだった。

 

 

【幼子のようにならなければ】

 

カトリックの教えは,時には今までの生き方を変えることも要求され,自身に求められる変革を受け入れるためには,イエスご自身を感動させた子どもの心が求められている。

ベルリン大学の宗教哲学教授を経て,戦後はミュンヘン大学の哲学教授だったロマーノ・ガルディーニ(18851968)は著書「主」のなかで,イエスの子どもに関わる御言葉から,次の三点を読み取ることができると言っている。

 

マタイ福音書18章

「いったい、天国ではだれがいちばん偉いのですか」。すると、イエスは幼な子を呼び寄せ、彼らのまん中に立たせて言われた、「よく聞きなさい。心をいれかえて幼な子のようにならなければ、天国にはいることはできないであろう。この幼な子のように自分を低くする者が、天国でいちばん偉いのである。」

 

1 一人の子どもを,一人の人格として,大切に受け入れるということです。

 

わたしたちは無意識の内に,自分を良く理解してくれる大人にだけに関心を向けがちです。自分に心地よい言葉だけを受け容れがちです。 それは,真の意味での人格者でしょうか。自己中心からの脱却が求められています。自己中心から脱却することが自分を低くする者ではないでしょうか。

 

2 「しかし,わたしを信じるこれらの小さな者の一人をつまずかせる者は,大きな石臼を首に懸けられて深い海に沈められる方がましである。」

 

「これらの小さな者を一人でも軽んじないように気をつけなさい。 言っておくが,彼らの天使たちは天でいつもわたしの天の父の御顔を仰いでいるのである。」

 

力のない子ども,財力のない子ども,政治力のない子ども。子どもに例えられる弱い立場にいる一人ひとりを軽んじてはならないのです。

 

3 「心を入れ替えて子供のようにならなければ,決して天の国に入ることはできない。」

 

親にすべてを託す子どものように,神に信頼を寄せこの身を任せる純粋さと純潔さが信仰の土台であり,親に完全な信頼を寄せる子どものように,従順で純潔でなければ神の国の一員にはなれないと教えられています。

 

学校法人賢明学院 学院長 中原 道夫