優しい心を育むカトリック教育

2018/05/08

何して遊ぶ

連休中に,園児や児童・生徒たちは,何処で何をして遊んだのだろうか。

 

先日,朝日新聞の「天声人語」に,玩具大手のバンダイが,小中学生に普段遊んでいる場所を調査したところ,ショッピングモールが四位に入っていると書かれていた。

 

確かに,近頃は遊ぶ場所が減り,児童公園にはボールの使用禁止と書かれている。そして道路に面している所では,危険すぎて昔のように遊ぶことは出来ない。空き地周りにはフェンスが張られ,立ち入る隙間はない。場所がなければ,ゲームセンターやスポーツ施設が,遊ぶ場になって当然だと思う。昭和40年代頃は,どこでもが遊び場になった。今のように公園は整備されておらず,単なる空き地が遊び場であった。でこぼこの空き地で,そのでこぼこを利用して,子どもたちは独自のルールを作って遊んでいた。当時の遊びと言えば野球が主流で,サッカーなどまだまだ世間に知られていなかった。

 

正式ルールに近い,三塁まである広さを確保できる場所は,ほとんどなかったから,三角ベースや,一塁とホームべースだけの種類の野球もあった。それぞれの状況に合わせてルールを作り,三人でも遊べるルールや,二人で遊べるルールもあった。その場所に応じて,遊びながら皆で独自のルールを作り,大いに楽しんだものだった。

 

いつの間にか,大人が考えた遊ぶ場所を,子どもたちに提供するようになり,遊びの中心である子どもたち独自のルール作りを阻むようになったのだろう。現在,公園と言えば滑り台があり,ブランコなどの遊具が設置されている。しかし原っぱが子どもたちに提供されることは,なくなったのだろうか。何にもない,整地もされていないからこそ,子どもたちは知恵を絞って,遊び方を考えるのではないのだろうか。子どもたち一人ひとりにとって,遊具の魅力の方が良いのか,何にもない場所の方がいいのかよく考えたい。

 

 

○ゲームやソフトがなかったから,人と遊んだ。人は一人では遊べないと学んだ。

友達と遊ぶことで,他者の大切さを学んだ。「一人ではできないこともある」ということを体験から学んだ。

 

○勝ち負けがあった。自分より強い人,うまい人がいることを学んだ。

勝った時や負けた時の様々な気持ちを,遊びで経験した。嬉しい気持ち,悔しい気持ちを学んだ。

 

○何度挑戦しても勝てないとか,失敗してしまう挫折感とか,努力することを学んだ。

何度も挫折して,やっと成功したときの大きな喜びが,自信につながることを知った。あらゆる感情を経験して,努力することの大切さを学んだ。自分を信じることを学んだ。

 

○友達と関わることで,他人を信じる心が育まれた。

年齢の違う子どもたちの集団での遊びは,年上の子どもたちが年下の子どもたちのことを,思いやることができなければ,楽しく遊ぶことは不可能である。小さなミスであれば,大目に見てあげることもあるだろう。

このようにして子どもたちは,思いやりの気持ちを学んだ。

 

○計画性が芽生えた。

友達と遊ぶとなると,計画性を持たなければならない。いつ・どこで・誰と・何をして遊ぶのかという,計画性と目標を持って,計画することを学んだ。

 

学校法人賢明学院 学院長 中原 道夫