優しい心を育むカトリック教育

2018/08/03

VOLUNTAS

7月は,若者たちの素晴らしさを感じた月だった。

 

地震災害,また大雨による水害に遭われた地に,たくさんの大学生の姿と高校生の姿があった。「期末試験を終えたら,いても経ってもいられない気持ちになって,来てしまいました」という高校生や,「友だちの実家がこちらにあるから,みんなで助けに来ました」というサークル活動の学生たち,水上バイクを駆使して,避難が遅れた人々を救助した青年等,NETやテレビのニュースを見るたびに,若者たちの姿に清々しさを感じた月であった。一方,猛暑のために,スポーツや各種の行事が中止されたり,運営が変更されたりした。今年の夏の始まりは,異例づくめだったのではないだろうか。異例のコースをたどった台風12号は,その典型的な例と考えられ,人の力では対抗できない,自然の力の大きさをつくづくと感じさせられた。このような異常気象と言える猛暑の中で,夏の学校行事開催等を検討することが必要になってきている。

 

しかし猛暑の中,人の為に働く姿がこんなにも自然に発揮され,ボランティアの人々の温かい心が,災害に遭われた人々の気持ちを,少しは楽にしたのではないだろうか。企業も,ボランティア休暇制度を導入して,ボランティア活動に参加した人は,通常に勤務したと認定する時代になってきている。

 

今後ボランティア活動が,単なる無報酬の奉仕活動という範囲にとどまらず,自己の自発的・主体的なによって,社会問題の解決や,必要とされている活動を理解しまた共感し,全ての能力を提供する時代になっていくのではないだろうか。

 

「自由意思」を意味する,ラテン語の(VOLUNTAS)ボランタスが語源のボランティアが,学生だけでなく,有職者や退職後の高齢者も加わり,自然な姿として万人に広まっていって欲しい。反面,教育分野でボランティアの義務化や,入試の評価に加点することが唱えられているが,その結果ボランティア活動自体が,義務的・功利的にとらえられて,ボランティアの本質をゆがめてしまわないかと危惧している。

 

 

『大切なのは、どれだけ多くのことをしたかではなく、どれだけ心(愛)を込めたかです』

 

マザー・テレサの言葉

「この世で最大の不幸は,自分が誰からも必要とされていないと感じること」だと。しかし,必要とされんがために,あっちにもこっちにもいい顔をしていたら,軸はぶれ,自信も薄れて生きていくことが辛くなる。

そんなときは,ひとつひとつのことをていねいに,心を込めてやってみるといい。お茶を入れるときも,茶碗を洗うときもていねいに。食事や掃除など,日常のひとつひとつをていねいにすることで,意識は変わっていく。

あれこれ雑にたくさんこなすより,ひとつのことを最初から最後まで,ていねいにこなせば満足感は十分。

 

何かひとつ,情熱をかけられるものがある人はいいけれど,そういうものがないという人であっても,日常のひとつひとつをじっくりていねいにやってみると,意外や意外,だんだん日常が楽しくなって,日々のあれこれに情熱がわくようになる。 

 

そして気づくと,自分のためにやっていたことが,だれかのためになっていたりするのだからおもしろい。

 

多くのことや大きなことができなくてもいい。たったひとつの小さなことを,ていねいに,心を込めてやっていれば,自分の心は愛に満たさていくことだろう。満たされた愛は,やがて周りへと広がっていく。

 

あまり知られていない事実だが,日本の子どもの7人に1人は,「貧困」状態にある。特に,ひとり親世帯の子どもは2人に1人が貧困と数字が示している。この数字は先進国の中で最悪の数字である。ひとり親世帯の「子どもの貧困率」はOECD加盟国平均の2倍以上。このような事態を,賢明で学んだ人々が感じて,具体的な行動を始めてくれる事を期待している。

 

学校法人賢明学院 学院長 中原 道夫