優しい心を育むカトリック教育

2018/09/07

私と人そして自然

子どもたちの声が聞こえてこない,夏休み中の幼稚園は寂しいものだ。預かり保育に来ている子どもたちの声が,唯一私たち教職員の癒しであり,救いであった。

 

 

今日,やっと明日の幼稚園説明会準備のために,年長さんが登園してくれた。ホールでの歌の練習,またお客様を迎える練習をしている姿に,夏休み中の大きな成長が実感でき,逞しくなった一人ひとりの子どもたちの明るい声は,何ともいえない癒しと励ましを,私たち教職員にもたらしてくれる。久しぶりの登園に,眠たそうな顔も見受けられたが,元気な子どもたちの声とあふれる笑顔で,眠っていた幼稚園が目覚めた。

 

 (私と人と)

 

二学期の環境整備のため,年長の保護者の方が来園して,園庭の草抜き・靴箱の掃除・窓拭き・床掃除・ロッカーや棚机の拭き掃除等,幼稚園の隅から隅まで清掃して下さって,子どもたちを迎える準備が整えられた。先生たちと,保護者の皆さんが一緒になって大掃除をして下さっている姿に接して,保護者の方々と一緒に,子育てをさせていただいているということを再認識した。子どもを育てていくということは,並大抵のことではない。毎日毎日が,試練の連続と言えるかもしれない。必ずしも,親の思うように子どもは育たない。子育ては,保護者だけでできるものではないし,また幼稚園だけで,できるものでもない。双方の連携がスムーズにできて,保護者の手助けと協力,そして家庭の躾と園の教育が一致したときに,子育てという難業が成功へと導かれるのだろう。子どもたちは,いつまでも保護者の庇護のもとにだけいることはできない。将来の姿を見据えると,子どもたち一人ひとりの社会性を育てること,すなわち私と他の者すべてとの関係性を培う必要がある。そして培った関係性を構築し,営む力も必要だ。人と人との関係・自然と人間の関係・情報と人間の関係などなど,社会はすべてこれらの関係性の中で営まれている。この関係という営みを初めて体験する場が,幼稚園だと言える。先生との出会い,同年代の子との出会い,年上の子との出会い,年下の子との出会い等,家族や親戚の人以外との出会いを通し,様々な関係を体験し解決していく中で,成人してからのその人独自の人間性が育まれるのではないだろうか。

 

(私と自然)

 

今年の夏の暑さは,「熱い」と表したい暑さで,様々な学校行事を,中止せざるを得ない気象状況が続いた。炎天下プールで遊んだり,虫を捕ったり,植物に水やりをしたり,太陽のまぶしさや暑さを体験させることができない状況であった。これから,秋らしくなるのだろうか。それとも,亜熱帯性の九月になるのだろうか。

 

この異常な気象状況から,私たちは人生の先輩として,子どもたちに何を伝え,学ばさなければならないかと,しばし考えた。暑さから身を守ることを教えるのは当然だが,なぜこのような暑さになったかということを,知らさなければならないのではないだろうか。昔と比較できない,過去の体験のない園児たちに,どのように教えていくべきか,しっかり考えなければならない。自然は大切であり,素晴らしいものであるが,自然を破壊してはならない。私たちは自然と共生していくために,自然を守り育てていかなければならないという使命がある。神様から授かった私たちの仕事として,指導しなければならないだろう。自然を大切にしていく心の根には,創造主に対する畏敬の念が必要だろう。地震が起こり,突発的に大雨が降り,体温と同じほど気温が上がり,自然災害が頻発する今,豊かな自然,優しく雄大な自然を取り戻す努力を私たちは日々積み重ね,未来に生きる子どもたちに,安心安全な地球を残す工夫をすべではないだろうか。そして子どもたち自身が,自然を大切にする心を持つように,育てていかなければならないだろう。

 

学校法人賢明学院 学院長 中原 道夫