2018/10/10
朝,散歩途中の御夫婦が,「今日は何かあるのですか」と,話しかけてこられた。「きれいな声ですね」と,チャペルから流れる聖歌『野ばらのにおう』の歌声を,道路に立ち止って聞いておられる。どうぞ中へと案内したが,「いやいやここで結構」と,道路にたたずんで聖歌を聞き,手を合わせて帰宅された。それから晴れた日には,必ずそのご夫婦は立ち止まって聖歌を聞き,手を合わせて立ち去って行かれる。
祈りの姿や声は,人の心に伝わっていくのではないだろうか。子どもたちにとって祈るという体験は,心に謙虚さという種を蒔き,何時か発芽するときを迎える。手を合わす,声を出して祈るなどの信心にまつわる行為は,大人になってからは難しい行為と捉えられることがある。しかし幼子たちの祈るという行為が放つ,心にまかれた畏敬の感性や,偉大なものに対する崇敬の念は,理論や数式で証明できるものではない。それはまさに周りの人々の心に残り,いつかこの体験が人々を祈りに導く動機となるのではないだろうか。
毎年10月は,ロザリオの月として,毎朝児童がチャペルに集い,ロザリオの祈りを捧げる。7時50分の開始時刻に遅れまいと走ってくる児童の姿には,神様に信頼を寄せる姿そのものが感じられる。子どもたちの素直なその姿に,私たちは「心」洗われる思いがする。児童の祈りの声と聖歌のHARMONYが近隣の人の心へHARMONYとなって伝わっている。
『野ばらのにおう』 カトリック聖歌 374
1 野ばらの匂う ルルドの岩屋 ファティマの丘の 楡(にれ)のはやしに
現れましし み母のみ手に 揺らぎかかれる ロザリオの珠
2 いばらの山路 なみだの谷に 歩みもまどう 世のもろ人に
さしのべ給う 救いのみてに 清くかがやく ロザリオの珠
3 お告げの恵み しもとの責苦(せめく)よみがえります 主のみ栄えを
こころの内に くり返しつつ 手にぞまさぐる ロザリオの珠
「ロザリオ」の祈り
Ave Mariaの祈りを繰り返し唱えます。11世紀頃から,短く覚えやすい祈りとして「アヴェ・マリア」の祈りが信徒の間に広まりました。13世紀頃から,一日に50回一組の「アヴェ・マリア」を唱えるようになりました。この時代は,マリア像をバラの冠で飾る習慣がありました。「アヴェ・マリア」の祈りによる霊的なバラの冠で迎えられることがより大きな喜びであると理解し祈りが広がり,50回一組の「アヴェ・マリア」の祈りは「ロザリオ」(“バラの冠”という意味)と呼ばれるようになりました。回数を確認するための珠もロザリオと呼ばれるようになりました。
10月が「ロザリオの月」となったのは,1571年10月7日レオ13世教皇が10月を「ロザリオの月」と定めた時から始まりました。
学校法人賢明学院 学院長 中原 道夫