優しい心を育むカトリック教育

2018/11/05

静 寂

賢明学院小学校・中学校・高等学校には,毎朝静寂の時間がある。僅かな時であるが,沈黙の時間が設けられている。朝の祈りの後,一人ひとり,姿勢を正し(調身),呼吸を整え(調息),心を整える(調心)。創立者もこの沈黙の時を,非常に大切にしていた。それは,自己を顧みる時である場合でもあり,また喧騒から身を離し,一時であっても神に近付く機会である場合でもあって,そこから真理に気付く時だからであろう。

 

 

先日知人が貸してくれたDVDを見た。タイトルは大いなる沈黙へとある。グランド・シャルトルーズ修道院 ( Grande Chartreuse)は,フランスのイゼール県サン=ピエール=ド=シャルトルーズにある,カルトジオ会の修道院だ。何も持たず何も語らない修道士たちの生活が,『大いなる沈黙へ――グランド・シャルトルーズ修道院』という題で,映画化された。2時間40分の間,ナレーションも効果音もなく,静寂の修道院の一年間をひたすら追った映画だった。無音映画と言えるのに,何故か最後まで見てしまった。

 

修道士の個室には,机と寝台・祈祷台のほかは,ほとんど何もない。画面に投影されるのは,900年間,外部との交流を遮断し続けている個室で,修道士が営む沈黙の生活,鐘の音で修道士たちが聖堂に集まって,聖歌を朗唱する音と光,歴史的修道院の佇まいと四季の移ろい,そして日々の修道士の姿であった。沈黙の生活にもかかわらず,通信手段もない生活にもかかわらず,修道士たちの姿と満ちたりた表情が印象に残った。

 

創立以来,ほぼ900年間ほとんど変わることのない沈黙と清貧の厳しい生活を守り抜いているその姿が,また表情が印象深く残り,マザー・テレサの沈黙の祈りを思い出した。

 

心の静けさ(真の内面的な静寂)を得るために ― 沈黙 ―

 

他人の過ちや、罪深いすべてのものに目を閉じ、神の美徳をさがす   (目の沈黙)

 

ゴシップや告げ口、無慈悲な言葉等の声に耳をふさぎ、

神の声や貧しい人の叫びに耳を傾ける (耳の沈黙)

 

暗さや動揺、苦しみを引き起こすすべての言葉をつつしみ、私たちを啓発し、鼓舞し、平安や、

希望や喜びをもたらす神の真理の言葉、イエスの言葉を口にする (舌の沈黙)

 

うそや混乱、破壊的な考え、軽率な評価、他人への誤った疑い、復讐心、さまざまな欲望などに

精神を閉ざし、祈りと黙想において神の真理と知識に精神を開く (精神の沈黙)

 

すべての自分本位の考え、憎しみ、うらみ、ねたみ、欲ばりを避け、私たちの心、魂、精神、

力において神を愛し、神が愛するように人を愛する (心の沈黙)

 

 

学校法人賢明学院 学院長 中原 道夫