優しい心を育むカトリック教育

2018/11/14

文化

木の葉が色づき始めると,あちらこちらの劇場や美術館では,特別の催しが盛んに開催されるようになる。神社仏閣においては,秋の特別拝観等が始まり,普段は見ることのできない貴重な文化財を,目にすることができる。それは年に一度のチャンスの催しや,なかには数十年ぶりのものもある。ところで,このような催事は,なぜ秋に開催されるのだろうか。春では,いけないのだろうか。

 

11月3日は文化の日として,「自由と平和を愛し,文化をすすめる日」と定義されている。一方,日本国憲法が1946年に,「交付」された日でもある。文明の日と言わずに文化の日という以上は,この表記のもう一歩奥の,深い意味を理解したいものだ。技術的な事柄を文明と定義すれば,精神的な事柄を文化と定義できるのではないだろうか。

 

文化の日にちなんで,文化について少々考えてみたい。辞書には,「人間が自然に手を加えて形成してきた物心両面の成果であり、特に人間の精神的生活にかかわるものを文化、技術的発展のニュアンスが強いものを文明と区別する」と記載されている。

 

さらに文化の定義に,文化芸術の振興に関する基本的な方針平成19 2 19 日閣議決定がある。そこには,「人間が自然とのかかわりや風土の中で生まれ育ち、身に付けていく立ち居振る舞いや衣食住をはじめとする暮らし、生活様式、価値観など、およそ人間と人間の生活にかかわることのすべてのことを意味しています。また、人間が理想を実現していくための精神活動及びその成果であるという側面があります。」と定義されている。

 

そういえば,社会の教師として今までたくさんの文化について学び,またその内容を生徒に教えてきた。しかし,飛鳥文化:白鳳文化:天平文化:国風文化:鎌倉文化:北山文化:東山文化:桃山文化:寛永文化:元禄文化:化政文化:江戸時代:後期等々名前がついている文化について,歴史的特徴はしっかり教えてきたが,文化とは何かという根本的問題にはあまり触れてこなかったという反省がある。

 

技術,学問,芸術,道徳,宗教,政治など,体系付けられたものが文化であることには間違いないが,もっと私たちの生活に密着していて,普段「文化」と意識しないようなものであっても,文化と呼べるものがあるのではないだろうか。端的に,衣食住とまとめられる生活であったり,特定の集団に共通する行動様式やものの考え方であったりするものも,文化であろう。

 

長い歴史に裏打ちされたものでなければ,文化と呼べないと考えてしまっては,文化は発展しないだろう。今,文化は生まれ,発展していると考えるべきであろう。ネットは個人の情報収集,発信を可能にしただけでなく,InstagramSNSTwitter等のツールを介して,より濃密なコミュニケーションの形成が始まり,独自の文化も生まれていると言えるのではないだろうか。

 

 

学校法人賢明学院 学院長 中原 道夫