優しい心を育むカトリック教育

2019/02/13

発表会

インフルエンザもやっと小康状態になった先日,幼稚園で生活発表会が実施された。

 

 

インフルエンザで,一週間の閉鎖をした学年やクラスがあり,出来栄えが心配されたが,園児たちは立派な姿を見せてくれた。先生から教えられた事をきちんと覚えて,人の前で発表するという行為は,子どもたちにとって一世一代の出来事である。ふたば組の子どもたちにとっては,人生初めての大舞台となった。四月初めのクラス発足当時,親との別れに泣いていた子が,堂々とした姿を見せてくれている。物怖じしている気配は,微塵も感じられないほど成長した,ふたば組のメンバーであった。子どもたちの成長は,本当に素晴らしく,時間と共にこんなに成長するのだと感心させられた。

 

発表会は,歌を歌うだけではなく,途中に集団での台詞がある。集団で台詞を言うことは,並大抵の練習では完成に繋がらない。言葉を覚え,台詞のスピード,さらに文節と文節の間を,全員が計ることが出来なければ,声は一つにならない。日本語の歌だけではなく,英語の歌も披露する。単に覚えたことを人前で発表するという次元ではなく,内容と意味,そして人に伝えるための間を身につけた発表であった。年長児は,姉妹校のある国から,自分たちが調べたい国を選ぶ,そして同じ国を選んだ友だちと相談して,調べる内容を決める。この段階で人との意見交換,そして協調性が鍛錬させる。調べる方法においても,どんなものを使うか,どこでどう調べればよいかの情報交換が生まれる。まさに共同研究に近い学習の形態を,子どもたちは実体験していた。調べたことを文字にし,人前でその文章を読んで発表する。将来に必要な全ての学びが込められた発表会であった。

 

この発表会に至るまでに,個々で調べたり,練習する中で,先生がたの指導において難易度を徐々に高められ,目標値を設定され,その到達段階に到達することで,子どもたち一人ひとりに知的好奇心が芽生えた事は確かだ。

 

人間は生まれた時から,もっと知りたいもっと学びたいという知的好奇心を持っていて,物を考え学習するように出来ている。知的好奇心は,大切に育てて使っていかなければならない。脳には,何かをして上手く行った時,「良い気持ち」になる仕組みが備わっている。これは,脳の報酬系機能と言われるものだ。だから「がんばるぞ」という気持ちになれる。他者と比較されて,うまい下手などの比較評価が,子どもたちの脳内に届くと,子どもたちの知的好奇心は萎える。その子なりの体験としての知的なことに取り組んでいると,βーエンドルフィンが出て「もっとがんばるぞ」という気分になる。もっとしたいと言う意欲は,この成功体験に基づくものであるのだろう。だから,欠点を指摘するだけでは,やる気は生まれてこないと,言われているのだ。

 

◎人にはその人なりの学習のスピードがある。遅い・速いの比較は慎みたい。
◎全ての子は素晴らしい可能性を与えられている。駄目な子なんていない。
◎教育ということを,間違えてはいけないのではないだろうか。
子ども時代の教育こそが,人間をつくると言っても過言ではないだろうか。

子ども時代の成功体験は,大きなエネルギーとなって,未来を開拓するのだと思う。

 

”He can who thinks he can, and he can’t who thinks he can’t. This is an inexorable, indisputable law.” (できると思えばできる、できないと思えばできない。これは、ゆるぎない絶対的な法則である。)

パブロ・ピカソ

 

学校法人賢明学院 学院長 中原 道夫