優しい心を育むカトリック教育

2019/02/16

西坂の丘

毎年2月5日は,私にとって特別の意味を持つ日だ。それは,歴史の事実として殉教の事を現場で教えてきたが,幼いと言える年令の子どもたちの信仰心に,私自身足元にも及ばないと感じるからだ。

 

1596年10月のサン・フェリペ号事件をきっかけに,12月8日に豊臣秀吉は再び禁教令を公布する。再び,キリシタン弾圧が始まった。秀吉は,京都奉行の石田三成に,京都に住むキリスト信徒全員を捕縛して,処刑するよう命じた。大阪と京都で外国人宣教師・修道士6名,日本人修道士と信者18名の合計24名が,秀吉のキリシタン禁止令によって捕縛された。24名は,1597年1月10日長崎で処刑せよという命令を受けて大阪を発ち,京都・大阪で引き回しとなり,京都では左の耳たぶを切り落とされ,厳冬の中を歩いて長崎へ向かった。途中でイエズス会の世話役ペトロ助四郎と,フランシスコ会の世話役伊勢の大工フランシスコの2名も捕縛され,総員26名となった。

 

 

同年2月4日に長崎・時津に到着し,舟中で一泊する。2月5日の朝,霜の中の浦上街道を3里歩き,午前10時頃西坂の丘に到着する。すぐに十字架に掛けられ,槍で両脇を突かれて26名は長崎の西坂の丘で殉教した。日本二十六聖人と言われる人たちの最期だ。特に,十代の子どもたちの事を2月5日の記念日に思い起こす。彼ら少年の信仰は,どのようにして育まれたのだろうか。親兄弟を残し,惨殺される直前の彼ら少年の心境はいかばかりか・・・・・・。

 

★聖ルドビコ茨木12歳  二人の叔父パウロ茨木・レオ烏丸と殉教。
「わたしの十字架はどれ」と尋ね,背丈に合わせて準備されていた自分の十字架のもとに走り寄ったといわれている。 十字架の上では縛られた体と指先を動かし,「パライソ(天国),イエス,マリア」と言って喜びを表したという。


★聖アントニオ13歳(長崎出身) 
西坂の丘で涙を流し出迎えた両親に,微笑みながら「泣かないで,自分は天国に行くのだから」と慰めたという。 隣にいる ペトロ・バプチスタ神父に「神父様,歌いましょう」とテ・デウム(賛歌)を歌う中を槍で刺され殉教。

★聖トマス小崎14歳
「心配しないように,弟たちをお願いします」と途中で母に書いた手紙を,父ミゲル小崎に託すが,京都に届けることがで きず,ミゲルはこれを懐にもったまま殉教。手紙は懐で血に染まっていた。

 

聖トマス小崎が,安芸の三原城の牢屋から母に宛てた手紙  -抜粋-

 「神の御助けにより・・・・・・わたしのこと、父上ミゲルのこと、ご心配くださいませんように。パライソ(天国)ですぐにお会いしましょう。お待ちしております・・・。イエズス・キリストの幾多の御恵を感謝なされば救われます。この世は、はかないものですからパライソの全き幸福を失わぬよう努力なさいますように。・・・私のふたりの弟マンシオとフエリペを、どうか異教徒の手に渡さぬよう御尽力下さい。私は母上のことをわれらの主にお願いいたしましょう。・・・

 

安芸国三原の城より 十二番目の月の二日(1597年1月19日)」

 

マルコによる福音書(8章34節~36節)

 

それから,群衆を弟子たちと共に呼び寄せて言われた。「わたしの後に従いたい者は,自分を捨て,自分の十字架を背負って,わたしに従いなさい。自分の命を救いたいと思う者は,それを失うがわたしのため,また福音のために命を失う者は,それを救うのである。人は,たとえ全世界を手に入れても,自分の命を失ったら,何の得があろうか。」

 

学校法人賢明学院 学院長 中原 道夫