優しい心を育むカトリック教育

2019/04/16

和顔愛語 わげんあいご

京都に住んでいるのだから今年こそ,京都の名所の花見をしようと決意し,久しぶりの休日に近隣を歩いてみた。昨年の台風の影響で,立派な幹や枝が傷付いたり折れてしまったりしているが,痛々しい桜の木も,花を満開に咲かせていた。

 

 

桜の花はなぜこんなにも人を魅了し,心を穏やかにさせるのだろうか。

 

そこここに集っている民は,桜を見上げて佇んでいる人,鴨川の土手に座り対岸の桜並木を見つめている人,花の香りを確かめている海外からの観光客,桜茶をこわごわ味わっている人,桜の下で記念写真を撮る人等,皆が桜と繋がっている形で存在している。一つの花の木が,こんなにも人を引き付ける力を持っているのだ。そんな光景を見ながら,東山の麓に居を定める,僧院前の掲示板に書かれている言葉が目に留まった。それは「和顔愛語」(わげんあいご)であり,英語・韓国語・中国語でも記されていた。

 

この四文字からは,優しい顔・優しい言葉が連想される。

 

「この言葉は『大無量寿経』というお経の中に出て来る言葉です。「和顔愛語」とは,和やかな笑顔と思いやりのある話し方で人に接することです。」と老師に教えて頂いた。

 

この言葉はさらに,「先意承問」(せんいじょうもん)という,相手の気持ちを先に察して,その望みを受け取り,自分が満たしてあげるという意味へと続くとも教えて頂いた。つまり「和顔愛語 先意承問」とは,和やかな顔と思いやりの言葉で人に接する事によって,相手の気持ちをいたわり,自分が先に相手の気持ちを察して,相手のために何ができるか,自分自身に問いただすという事になるのだろう。

 

桜咲く季節に,桜の花のような心を持つようにという願いが込められて掲載された言葉だと,勝手に解釈した。 しかし、自分自身が「和顔愛語」を実践するとなると,簡単ではないのではないだろうか。 気分が悪いときに笑顔を見せるなんて,至難の業ではないだろうか。 愛情を感じていない相手に,思いやりのあるやさしい言葉をかけるのも,抵抗があるし,非常に難しいと思う。

 

「相手のことを先に考えて,与えることです。笑顔になってほしいのならば,まずは相手に笑顔を見せることです。優しい言葉をかけてほしいのならば,まずは相手に優しい言葉をかけてあげることです。幸せを求めるならば,まずは相手に幸せを与えることです。自分から先に相手の気持ちを重んじて,相手の幸せを考えるのです。大切なのは,思いやりです。その心を仏教では「慈悲」(じひ)といいます。」と,老師から諭された内容は,すべてが難題で,私には到底実現できそうにないと思った,春の一日だった。

 

そんな私の心を見透かしたように「私たちが穏やかに生きるためには,みんなが「慈悲」の心を持つことが大切です。 自分も相手も,ともに思いやることを心がけていれば,心がまぁるく穏やかになりますよ。」と,別れ際に一言戴いた。

 

― マザー・テレサ ―

『あなたに出会った人がみな,最高の気分になれるように,親切と慈しみを込めて人に接しなさい。

あなたの愛が表情や眼差し,微笑み,言葉にあらわれるようにするのです。』

 

学校法人賢明学院 学院長 中原 道夫