優しい心を育むカトリック教育

2019/09/06

うつりかわり

今年の夏の街には,例年以上に海外からの来客が多かった。伏見稲荷大社や東福寺,清水寺や金閣寺等は,日本人より圧倒的に海外からの旅行者の方が多く,日本人は何処へ行った?と言える様だった。しかし外国人とはいえ,飲食店では結構器用に,箸を使って食事をしておられる。京都での観光を楽しまれているのではあろうが,この残酷な暑さの中で観光する事は苦行とも言えるなぁと,傍観していた。

 

観光地や街を行く大半の方が,レンタルショップの着物を着用して,闊歩している。布地は,遠くからでも化学繊維とわかる着物であり,形状は上下のセパレート式の物で,日本人は着る事をしないような大胆な柄や色使いの物が多い。しかし,この需要に応えるように,街の至る所にレンタル着物店が出来てきて,この店に観光バスで乗り付ける,団体客や若いカップルがとても多い。

 

 

その様を見て,「もっと正しく,着物の文化を伝えないと。」と,年寄りが呟いていると,「あれはKIMONOですよ。京の街に誕生した新しい文化で,着物ではないのですよ。」と,若者に諭された。これは,『なるほど!』と,妙に納得出来た説明だった。これだけ圧倒的にKIMONOが街にあふれてしまえば,これはこれでKIMONO文化なのだろう。

 

新しい物が誕生し始めると,どうしても過去からの物と比較し,ほめる事を忘れて,批判的な所から物事を見てしまうのは,歳のせいだろうか。

 

そういえば中学生の頃,歴史の年代は,語呂合わせで覚えていた。しかし今どきの語呂合わせは,変わってしまっている。(1)い(1)い(9)(2)国作ろう1192年鎌倉幕府,と覚えたものだが,今どきは「いーっ急に」と1192年を覚えるらしい。1221年も驚きだ。「仙人(千221)に位置を決めてもらって開始承久の乱」と,覚えるらしい。暗記方法の語呂は文化とは言えないが,年代を覚える事に苦労した生徒たちが編み出した文化だと,ある意味言えるのではないだろうか。後に年代暗記方法の本として,生徒必須のテキストとなったが,その中身も時代と共に変わって来ている。

 

見るからに変化していくのがわかるものと,いつの間にか変化していき,変化がその時に見えにくいものが混雑しているこの時代に,妙に納得する小言が「おやじ」という店に,額入りで掲げられていた。もうオヤジなのか,それとも初老の老人なのか,自分の立ち位置が定まらない今日この頃だが,この小言に納得してしまうのは,オヤジになった証しだろうか。

 

「親父の小言」という形式で,数十ヶ条の格言となっている。江戸後期以前に成立し,明治時代以後は忘れ去られていたが,昭和30年代に復活したそうだ。「親父の小言と冷酒は後で効く」という名文があることから、深酒しがちな居酒屋によく貼られていたそうだ。古くは嘉永5年(1852年)の版がある。

 

今までに,新たな語句が加わったり逆に本来の言葉が削られたりと、オリジナルとは随分異なるものになってしまいまっているが,年を取ると納得してしまう。本来の物から変わっても納得してしまうのも文化の推移だろう。

 

『親父の小言』

火は粗末にするな  朝きげんよくしろ  神仏をよく拝ませ  不浄を見るな   

人には腹を立てるな  人に馬鹿にされていよ  年寄りをいたわれ  恩は遠くから隠せ

万事油断するな  女房のいうこと半分  子のいうこと八九はきくな

家業は精を出せ  何事もかまわずしろ  たんと儲けてつかへ  借りては使うな

人には貸してやれ  難渋な人にほどこせ  生き物を殺すな  年忌法事をしろ

義理は必ず欠くな  ばくちは決して打つな  大酒は呑むな  大めしを喰うな

貧乏を苦にするな  火事の覚悟をしておけ  風吹きに遠出するな   

水はたやさぬようにしろ  塩もたやすな  戸締まりに気をつけろ   

物を拾わば身につけるな  小商ものを値切るな  何事も身分相応にしろ

泣きごとは必ず云うな  人の苦労を助けてやれ  不吉は云うべからず  家内は笑ふて暮らせ

 

学校法人賢明学院 学院長 中原 道夫