優しい心を育むカトリック教育

2019/10/16

夕焼け

 

10月になって,学院の駐車場から見える西の空は,黄金色に輝く夕焼け空だった。あまりにも美しく,自然の偉大さを感じ,しばし見とれてしまうひとときだった。空をCAMPUSとして今日をふり返り,空いっぱいに色で表現しているのが,夕方のひとときではないだろうか。

 

夏の訪れを感じたのも夕焼けだったが、秋の訪れを感じるのも,夕焼けからではないかと思う。本格的な秋の宵,涼しさを感じるこの一刻,空の色が茜色から徐々に変わっていく素敵な時間の始まり,しかも単色ではなく、様々な黄色系や赤色系,そしてまだ昼の余韻のある青空の色から,夜の空を予感させるグレーの色,全ての色が一日の過ぎた時間を現している。哀愁さえ感じる空の色が,夕刻の空模様なのだろう。楽しかった事や,つらかった事,苦しかった思いなど,一日に起こった出来事を,空を見る人たちの心模様として見えるのが,夕焼け空なのだろう。

 

子どもの頃,空の色が変わり薄暗くなると,家に帰る時間だとわかり,友達と別れを惜しんで帰路についたものだ。日照時間に合わせて遊び時間も短くなっていったあの頃,時計は持っていなかったけれど,子どもたちは空の色で帰宅したものだった。誰が言うともなく「そろそろ帰ろうか」という声が聞こえ,毎日の遊び場にしていた空き地を後にした。懐かしいあの頃,空の色が子どもたちの時計だった。

 

今,私は,少年時代の時計をなくしてしまっていた事に気が付き,一人夕焼け空を眺めていた。こんな素敵なひとときを,なんというのだろう? 仕事を終えて外に出たとき。夜の帷がおりる直前の薄明るい空,まだ暑さを感じる風が身体に纏う夏の夕暮れ,肌に涼しさを感じる秋の夕暮れ,それぞれの季節の変化や訪れを実感させるあのひとときや一瞬を,なんと呼ぶのだろう?

 

黄昏(たそがれ)

夕暮れの,あたりが薄暗くなってくる頃。その中に,わずかな夕焼けの「赤色」が残っている時間をさす言葉。静かに口にしてみたい言葉,少しずつ終わりに近づいていく人の一生を,「人生の黄昏」という。

 

夕映え(ゆうばえ)

夕日の光を受け,まわりの物が美しく輝いて見える事を,このように言うのだそうだ。

 

(あかね)

もともとは,山に生えるアカネ科の多年生つる草の名前。少しくすんだ赤色の染料として使われるそう。その色から,夕日で赤く染まった空や雲を「茜空」,「茜雲」と呼ぶ。

 

夕焼け(ゆうやけ)

日の入りのときに,西方の地平線に近い空が,燃えるような赤紅色に染まる現象のこと。空気中の水蒸気が多くなる梅雨の時期は,1年の中でもとくに夕焼けが鮮やかに見られる。あまりに美しいその光景から,「梅雨夕焼け」という季語もある。

 

薄明(はくめい)

太陽が地平線に沈んでも,急に真っ暗になるわけではない。暫くは薄明るさが残る。このような空を現している。

『空の名前』著:高橋健司(角川書店)から引用

 

学校法人賢明学院 学院長 中原 道夫