優しい心を育むカトリック教育

2019/11/11

お茶の木

堺ライオンズクラブから,賢明学院小学校にお茶の木が寄贈されました。

 

 

一年生と二年生の児童が,各自一本ずつのお茶の苗木を学校の菜園に植えました。植物を育てる体験は,情操教育にとって欠かせない教育活動と考えます。自力で,捕食活動が出来ない植物に水をやり,雑草を抜き,肥料を与えて育てるという行為は,優しさを言葉で伝えるのではなく,栽培という行動から学ぶものでしょう。自分の植えたお茶の木が枯れないかと気を使い,毎日水をやり,育ってほしいと慈しみ育む心,この温かい思いそのものが,教育が目的としている心の陶冶です。

 

お茶と言えば,茶人として有名な千利休を思い出しますが、彼は堺の出身です。このお茶の木が大きく育ち,卒業生から茶人と言われる人物が育ってくれる事も期待しながら,植樹を見守っていました。

 

お茶と言えばペットボトルに入っていて,工場で作ると思い込んでいる児童が多い事を,つくづく知らされた一日でもありました。お茶の木の植え方のコツを教わり,葉っぱを落として根が張る様にする事,太陽の光と水やりを欠かさない事を告げられ,「早ければ2,3年したらお茶に適した新芽が出て来るので,それを摘み取って蒸したら,揉んで乾燥させ,その葉を急須に入れてお湯を注ぐと,みんなが飲んでいるお茶になるのですよ。」と教えて頂いた時,児童の中から「えーっ」と驚きの声が上がったのには,こちらが驚かされました。お茶の入れ方も,学校という教育機関で教える時代が来たのだろうか? 何でも買う事が当たり前になっている昨今であるが,お茶を急須で入れる事ぐらいは,知っていてほしいと思った瞬間でした。

 

千利休 (せん の りきゅう)  “茶の湯の極意は自由と個性なり”

生誕   1522年 大永2

帰天   1591年 4月21日 (天正19228日)

 

わび茶(草庵の茶)の完成者として知られ、茶聖とも称せられる。また、今井宗久、津田宗及とともに茶湯の天下三宗匠と称せられ、信長、秀吉という2人の天下人に仕え、茶道千家流の始祖となった“茶聖”千利休。本名は田中与四郎、号は宗易(そうえき)。大阪堺の魚問屋『ととや』に生まれる。父は堺で高名な商人であり、利休は店の跡取りとして品位や教養を身につける為に、16歳で茶の道に入る。18歳の時に当時の茶の湯の第一人者・武野紹鴎(じょうおう)の門を叩き23歳で最初の茶会を開いた。弟子に「茶の湯の神髄とは何ですか」と問われた時の問答に次のような会話が記録されている。

 

利休 「①茶は服の良き様に点(た)て、②炭は湯の沸く様に置き、③冬は暖かに夏は涼しく、

           ④花は野の花の様に生け、⑤刻限は早めに、⑥降らずとも雨の用意、⑦相客に心せよ」

弟子 「師匠様、それくらいは存じています」

利休 「もしそれが十分にできましたら、私はあなたのお弟子になりましょう」

 

当たり前のことこそが最も難しいという事を弟子に解いた「利休七則」として有名な言葉。

 

学校法人賢明学院 学院長 中原 道夫