優しい心を育むカトリック教育

2019/12/04

待降節

創立記念日の夕刻,教職員の手でクリスマスの準備をしました。イルミネーションと,イエス様がお生まれになった場面のジオラマ,クリスマスツリー,リースと飾り付けが終わり,11月30日に全てのイルミネーションの点灯式が行われ,いよいよ救い主がお生まれになることを待つ,待降節が始まりました。

 

 

ルカ福音書2

8 その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。 9 すると,主の天使が近づき,主の栄光が周りを照らしたので,彼らは非常に恐れた。 10 天使は言った。「恐れるな。わたしは,民全体に与えられる大きな喜びを告げる。 11 今日ダビデの町で,あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。 12 あなたがたは,布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。」

 

このとき,救い主の養父と母となるマリアは,どんな心境だったのでしょうか。

 

ヨセフとマリアは,小さな町ナザレに住んでいました。マリアは結婚する前に,お告げによって救い主を身ごもり,臨月を迎えています。ところが,そんな彼らのもとに予期せぬ知らせが届きました。大掛かりな人口調査が始まったのです。当時の人口調査も,家長であるヨセフが,家族を代表して,出かけて行けばよかったはずです。それなのに何故,身重のマリアまで一緒に,夫ヨセフの故郷であるダビデの町ベツレヘムへ,人口調査の為とはいえ,出かけて行ったのでしょうか。数年間に及ぶ人口調査ですから,イエスの誕生の後でもよかったのではないでしょうか。

 

ナザレの町からそのベツレヘムの町までは,おおよそ120㎞ほどあります。現代のような交通手段はありませんから,120㎞を,徒歩かロバに乗って旅をしたのでしょう。身重のマリアにとっては,本当に辛く危険な旅であったことでしょう。

 

婚約はしていても,まだ結婚生活に入っていない女性が懐妊するということ事態,当時のユダヤにおいては戒律違反で,石殺しの刑に匹敵するとも言われていました。ユダヤの戒律に背いていると思っている二人には,世間の目は厳しく感じられ,暮らしている所が小さな村であればある程,彼らは肩身の狭い思いをしていたのではないでしょうか。そんな中,マリア一人を家に置いて,長い旅に出かけることなど,ヨセフには出来なかったのでしょう。マリアにしても,村人の冷たい視線の中で,一人で出産を迎えるよりも,たとえ旅の途中であっても,ヨセフに見守られながら出産する方がよっぽど良いと考えたのでしょう。きっと二人にとっては,悲しく寂しい旅立ちだったのではないでしょうか。

 

やっとの思いで辿りついたベツレヘムの町においても,彼らは予想外の苦境に立たされました。二人が辿り着いたベツレヘムの町は,既に住民登録の為に押し寄せてきた人々で溢れ,彼らの泊まる場所は,もうどこにも見出せなかったのです。こんな逆境の中で,マリアは月が満ちて,洞穴(家畜小屋)の中で出産するはめになりました。しかも,生まれたばかりの赤ん坊を,家畜の餌入れである飼い葉桶の中に寝かせるしかなかったのです。初めての出産を迎えたマリアにとって,どれほど心細く,惨めだったことでしょう。

 

ひとつの思い,同じ願いは,世界の人々が心を一つにして,世界を平和にする事です。賢明学院を巣立った児童は,いろいろな場で現実と向かい合うとき,平和な世界に向けての行動を起こすと信じています。

 

これが聖書の伝える,イエス・キリストの誕生です。

 

学校法人賢明学院 学院長 中原 道夫