優しい心を育むカトリック教育

2017/02/28

おうた子に教えられて浅瀬を渡る

2017年2月28日(火)

 

時には、年下の者に、いろいろなことを教えてもらうことがあるというたとえ。子どもを背中におぶって川を渡る場合,子どものほうが先がよく見えるので,安全で渡りやすい浅瀬の方向を教えてもらって川を渡るということから生まれた諺です。時と場合によっては,年下の者のほうが 詳しく長けている場合があることを教える諺だ,そのままを先日体験した。教育の真髄を教えられた。

 

小学校を卒業して38年経った教え子たちが,群馬から,東京から,神奈川から,岡山から,広島から懐かしの地,京都に集合した。当時の六年菊組のほとんどの児童が立派な社会人となって集まった。

 

不思議なものだ,一瞬「誰だ」と思うが,目元と口元を見るとかわいかった六年生のままの笑顔が浮かぶ。話をしていると保護者の顔までよみがえってくる。遺伝子は間違いなく引きつがれている。坐り方を見れば,「ちゃんと前向きなさい。」と注意していた当時の,そのままの坐り姿がある。

東京近郊の卒業生は,毎月のように会っているというが,みんなが揃えば瞬く間に昔の教室の雰囲気に戻った。子育て真っ最中・専業主婦・建築士・尼僧・事務職・教育職・牧師・資格取得指導者・ブランド品会社の役員・トップ企業の管理職・オーナーシェフ・建築士・看護師・介護に専念している人,あらゆる職種や肩書の人が,12歳に戻れた。私も24歳の教師に戻れた。教え子たちは見事に成長していた。その姿と懐かしさに感極まり,涙を見せないように振る舞うのが精いっぱいの一日だった。

子どもたちは,いや失礼卒業生たちは,写真のように小学校時代を覚えている。何もかも記憶にある。

懐かしい品が次々と披露された。アルバムがある。校章がある。聖歌集がある。幼稚園章がある。記念の文鎮がある。いつもらったのかマリア像を大切に持っている。教えの全てを心に刻み込んでいる。真意を曲げない人生を送っている。

 

たくさんの懐かしい思い出が次々話題になった。新聞ノート・短大の池でのザリガニ吊り・ドッピン?・武奈ヶ岳への遠足・車山への修学旅行登山・保津峡のゴミ拾い・べルナデッタ・ルルド・聖歌・天使祝詞(めでたし)の祈り・卒業式の時の讃美歌・今振り返れば,辛いことも嫌だったことも忘れ,すべてが懐かしい思い出なのだろう。

 

「先生,あれなんだった。」「先生べルナデッタの体なんで腐ってないの。」質問も次々と飛び出すが,「お祈り忘れてないよ。」「部下の指導には,いやなことは自分がまず率先して見せているよ。」カトリック校が根幹にしていたことを,今も身に着けていてくれることが,本当にうれしかったと同時に感動させられた。いかに幼少の時の体験や教育が大切であるかを,教え子に教えられた。

 

当時の卒業式では,聖歌と讃美歌を歌っていた。歌詞は全部覚えているのに,聖歌集にのっていないと嘆いていた教え子の為に。今も覚えている教え子の為に。「はげみて つくさん」のところだけしっかり歌っていたやんちゃ坊主の為に(日本基督教団の讃美歌440番)

 

「御神の たまいし」

御神のたまいし 心の玉を

磨きし学びの 家を立ち出で

行く手を異にし 互いにわかる

別れて何処に 行くともどもに

教えの光を 世に輝かさん

 

慣れにし学びの  家を忘れず

教えのみおやの  恵みを思い

御神の栄を  常にあらわし

親しき友だち うからやからに

誠と愛とを 携え 帰らん

 

学びの窓にて 固く結べる

結びの鎖は 解くる時なし

海 山 隔てて 別れ行くとも

心と祈りは 共に行きかい

世をなす務めを 励みて尽さん

 

この歌詞のままの人生をおくっているみんなに,「ありがとう」

 

神様の祝福は,かならず訪れます。それはいつ来るかはわかりません。小学生に戻って,お祈りを始めて教えてもらった幼稚園に戻って,心を澄ませましょう。

 

gakuintyo-20170228

 

学校法人賢明学院 学院長 中原 道夫