優しい心を育むカトリック教育

2020/01/21

PARALYMPICS

1964年のオリンピック開催で,印象に残っているのが,PARALYMPICSの開催だ。名称を知ったのも,前回の東京OLYMPICであった。父親が,新聞の片隅に小さく報道されている記事と写真を私に見せて,「偉い人たちがいる」と語った事を,微かに記憶している。「身体にハンディーのある人たちも,スポーツをするんだ。」というのが,当時小学生であった私の,正直な感想だった。振り返って調べてみると,当時のPARALYMPICSは,11月8日から12日の5日間に行われ,車いす利用者のみの競技大会だった事が解った。

 

 

種目は,ダーチャリー(アーチェリーとダーツの要素を合わせたような競技),洋弓,槍正確投,槍投,砲丸投,円盤投,こん棒投,車いす競走,車いすリレー,車いすスラローム,バスケットボール,重量挙,スヌーカー,卓球,フェンシング,水泳,五種競技と少なく,今のパラリンピックとは大きな違いがあった。しかも「パラリンピック」という呼び方は,正式名称ではなかったそうだ。「パラリンピック」という名称は,日本で初めて大会名として打ち出された愛称で,発祥国のイギリスでは,「ストーク・マンデビル大会」と呼ばれていて,パラリンピックという言葉は,関係者の間でのみ用いられる略称に過ぎなかったそうだ。

 

当時のパラリンピック大会は,参加条件としては「下半身にマヒがあり,車いすを使用する者」と規定されていたという事だ。これは大会のルーツが,脊髄損傷の治療手段として,イギリスのストーク・マンデビル病院で行われていたスポーツ大会であり,脊髄マヒのある障がい者のリハビリを目的としたスポーツ競技会として,国際的に発展してきた経緯があったためである。

 

1976年のトロント大会以降に,参加規程は緩和される事になるが,この当時はあくまで「パラリンピック」とは,脊髄障がいのある者のみを対象とした大会であった。1964年の東京大会も,国際ストーク・マンデビル競技委員会の規定に基づき,車いす使用者を対象として行われた。下半身以外の障がい(上半身や,視覚,聴覚など)のある人たちの大会は,「国際身体障がい者スポーツ大会(愛称:「パラリンピック」)第ニ部」と称され,非公式な大会として行われていた。当然,参加者は各国代表ではなく,47都道府県から派遣された代表選手480名が出場した国内限定の競技大会であった。(正確には,一部の西ドイツ選手もオブザーバー参加)

 

Para(沿う,並行)+Olympic(オリンピック)という意味で,「パラリンピック」という公式名称が定められた大会は,1988年のソウル大会が初めてで,現在は出場者も「車いす使用者」という限定から,対象が広がっている。

 

1964年の大会で選手宣誓を行い,水泳・フェンシングに出場した青野繁夫選手は,大会が「生涯忘れられない思い出」になり,「感激の涙を流した」としながらも,次のように指摘している記事が残っている。

 

「外国の選手のあの明るさは,何処から来ているのか,疑問に思ったのは私1人ではあるまい。勿論国民性もあろう。が,しかし,国家の福祉制度の充実から,生活の安定があっての事である事には,間違いあるまい。日本の現状は,所謂先進国との差が有りすぎる様な気がしてならない。私達が,身体だけ社会生活に堪え得る元気さを回復したとしても,現状は,どんな受入れ方をしてくれるのであろうか。成る程法律では,身障者雇用促進法が立派に成立している。であるが,これは全く軽度の身障者のものである。いやそれすら,法の完全運用にはほど遠い状態ではないだろうか」(「東京パラリンピック大会報告書」より)

 

水泳,卓球に出場した長谷川雅己選手も,後にこう記している。

「(大会に参加して)私は外国選手が明るく陽気でいられる背景を,若干知ったのである。実際,暗い陰そんな影はないのである。それには,それなりの理由があるのだ。身障者に対する社会一般の理解が,そこにあるからなのである。彼等は暗くなる理由が,ないのである。彼等は一個の人格として,社会から認められているし,従って,一人の人間であるという自覚を,もっているのである。この辺が,日本と違う処だと思う。(中略)日本に於て身障者が,いつになったらあのような気持で,社会生活を送れる日が来る事やら。一日もその日が早く来る事を,祈るかぎりである」(「東京パラリンピック大会報告書」より)

 

2020年,身障者の人が自信をもって安心して日常の生活を営み,みんなが一緒に互いにスポーツの楽しさと良さを確認し,近い将来別々に開催されているという状態から脱し,handicapを持つ方とそうでない方が,一緒に競技出来る種目が誕生してもいいのではないだろうか。昨年,2019825日,走り幅跳びの競技で,非公式の記録ながら,8m50cmが誕生している。この記録は,足にhandicapを持つマルクス・レーム選手の記録だ。(ちなみに日本新記録は,840cm)

 

学校法人賢明学院 学院長 中原 道夫