優しい心を育むカトリック教育

2017/10/30

11月1日は諸聖人の祭日

La Toussaint「トゥーサンのヴァカンス」で子どもたちの学校も二週間が休みとなります。さすがカトリック国です。ついこの前に夏のバカンスが終わったばかりなのに,諸聖人の記念に二週間も学校が休みになるとは,日本なら学力保障と言う言葉で一蹴される習慣だと思います。

 

111日は諸聖人の祭日です。諸聖人が今は神のもとにあって,私たちのために取りなしてくださっていることを信じ,この日を祝います。聖人とは,キリストへの信仰をもってこの世の旅路を歩み通し,今は神のもとで永遠の報いを受けている人たちのことです。111日は,すべての聖人(諸聖人)をお祝いする日です。

 

「教会」という言葉からは,教皇を中心とした全世界の教会,組織的な教会だけを思い浮かべるのでしょうが,教会は聖人たちとの共同体も含みます。この共同体は目には見えないし,また話し合ったりして絆を確認することもできませんが,私たちは聖人たちと固く結ばれているのです。私たちが苦しむとき,教会全体が私たちを励まし,私たちのために神に取りなしの祈りを捧げています。私たちが教会に集い,心を一つにして祈るとき,聖人を含む教会全体も私たちと声を合わせ,心を合わせて祈っているのです。諸聖人の祭日にあたって,私たちと聖人たちとの絆を思い起こすべきでしょう。

 

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ヨハネの黙示録(7章)には,天の教会は,永遠の賛美の集いとして描かれています。人びとは,神の玉座と小羊キリストの前に導き入れられ,もう離されることなく,昼も夜も絶えず神をほめ称えることができるようになること,これこそ苦難の中にあってキリストにとどまり続けた聖人たちに与えられた報いであり,今はまだこの世の旅路を歩んでいる私たちに与えられる報いとして書かれています。

 

●教会は,殉教者の殉教記念日を祝ってきました。ディオクレティアヌス皇帝の時代(4世紀)の迫害のころから,ある特定の日(復活節中のある日または聖霊降臨最初の主日)に祝っていました。

 

●5世紀には、ローマ人がペンテコステの次の日曜日に,聖人と殉教者をたたえました。

 

●8世紀に教皇グレゴリウス3世のとき,ローマ人は111日にすべての聖人をたたえて,ローマのサン・ピエトロ大聖堂の中に小聖堂を作りました。

 

1835年,教皇グレゴリウス4世は,この祝日を11月1日に定め,すべての殉教者から諸聖人にまで広げました。この決定を機に諸聖人の祝いは全世界に広まっていきました。

 

典礼暦年の最後の月に祝う“諸聖人”の祭日は,主の再臨とキリストの輝かしい完成を,思い起こさせる日です。福音書の朗読では,「8つの幸い」、「真福八端」と呼ばれる箇所が読まれます。

 

幸いと訳された語は,最高の幸福と幸福感を示したものだそうです。「幸い」のヘブル語は,神から与えられた祝福,救いの喜びをあらわすものです。これは神との人格的な交わりの喜びを軸とした,祝福・幸福です。

 

心の貧しい人々は、幸いである、  天の国はその人たちのものである。

悲しむ人々は、幸いである、 その人たちは慰められる。

柔和な人々は、幸いである、 その人たちは地を受け継ぐ。

義に飢え渇く人々は、幸いである、 その人たちは満たされる。

憐れみ深い人々は、幸いである、 その人たちは憐れみを受ける。

心の清い人々は、幸いである、 その人たちは神を見る。

平和を実現する人々は、幸いである、 その人たちは神の子と呼ばれる。

義のために迫害される人々は、幸いである、  天の国はその人たちのものである。

わたしのためにののしられ、迫害され、  身に覚えのないことであらゆる悪口を浴びせられるとき、

あなたがたは幸いである。(マタイ 53-11

 

学校法人賢明学院 学院長 中原 道夫