優しい心を育むカトリック教育

2016/12/09

師道

2016年12月9日(金)

gakuintyo-20161207-03

晩秋の古都には、今日も観光客があふれその隙間を修学旅行生が行きかう。海外の観光客はスマートフォンのApplicationを駆使して誰に道を尋ねることもなく目的地に達している。栞を唯一の手掛かりに名所探索を課せられている修学旅行の生徒にとっては,大混雑の観光地にたどり着くのは至難の業になっている。観光シーズンに合わせてバスの停留所の移動、それに付け加えて尋ねる人もみな観光客や異国の人であり、英語が通じる人もごくまれな状態の街中で,生徒たちは困惑している。先日,五条坂でやっと見つけた日本人の初老の婦人にこう尋ねている旅行生がいた。

 

「すいません。シミズドウはこの道ですか。」

 

聞きなれない名称である。シミズドウ? そんなお寺はこのへんにはないなぁ。気になって昔の先生堅気で手助けを申し出てみた。 「シミズドウはこの辺にはないけど・・・・旅行の栞にそう書いてあるの?」いかにも元教師らしい口ぶりが自分でも嫌になるが,いらぬおせっかいを顧みず,純朴な旅行生に聞いてみた。 「はい」 得意そうに生徒の一人がいかにも手作りで自分たちが分担して作成したであろう栞を差し出してくれた。「あぁぁ・・・シミズドウね。これね。きよみずみちと読むんだよ。」「はぁーん。」いやいやこっちが「ハァーン」と言いたい。地名には独特の読み方がある。物集女・一口・深泥池なども正しく読んでもらえているのだろうか。そういえば、道を尋ねなくなった海外からの観光客のアプリにはどのような案内指示となっているのか気になるところだ。正しい読みは記載されているのだろうか・・・・。

 

せめて,日本の生徒たちには京都への修学旅行前の事前学習として,地名の勉強をしておいてほしいと思う。地名には謂れがつきものである。謂れも含んで事前に学んでおいてほしい。事前の学習があるから現地に行ったとき、事前と本時(本番)が一体となって,それが事後学習につながり,学びとなるのではないだろうか。 生徒にとって,事前の学びは重要な役割を担っていると考えられる。

 

教師になりたての頃,先輩の先生から事前学習計画書を作成しなさいと指導された。二泊三日の信州への旅行であったが、集合の隊形や集合のさせ方,駅での指導・乗換時の指導・バス乗車下車の指導・車中の指導・宿舎での指導等々50項目に及ぶ事前準備項目と指導内容,それに伴う児童への事前の学習指導と事後指導項目の準備があった。当然移動中の教師の位置と,指導のタイミングと注意点・安全確保の項目なども含んだものであった。あまりにも細部にわたる項目であったので,閉口してしまったことを覚えている。しかしその指導のおかげで,有意義な旅行を実施する事ができ,私のその後の教師生活の基本姿勢を培って頂いたと思える。

 

同行する教員のそれぞれの役割が明確に整っていたからこそ,児童にとっても思い出に残る行事となったのではなかったかと思う。地名や気候・産物・その土地の歴史など,事前に調べておかなければならないこともたくさん児童に課せられた。しかしこの事前学習があったからこそ,訪れた先で土器を食い入る眼で見とれ,ビーナスと言われる土偶に興味を持ち,先人の知恵に感動したのだろう。今も、現地で採取した黒曜石を大切に持っている卒業生も多い。

 

間もなく,指導要領が改定されアクティブラーニングという授業形態が主流となるが,Active Learning(AL)の根本は,事前学習に興味を持たせ,何をどのように使って学ぶかを指導することではないだろうか。本時に至る事前学習が重要な役割を担う事になるのであろう。その為には、教科書の枠を超えて興味や関心を持たせることが必要であり,教師の熱意と豊かな情報が生徒たちの興味を誘発することになると考えられる。

 

学校法人賢明学院 学院長 中原 道夫