優しい心を育むカトリック教育

2016/12/21

Christmasの“ひつじ”  46匹の仔羊物語

2016年12月21日(水)

 

かわいい46匹の仔羊が息をひそめて静かに時を待つ,年少クラスの子が仔羊に成りきっている。聖書の中に書かれている羊の重要な役目を,幼いなりに理解しているのだろう。“ひつじ”さんと呼ばなければ失礼になるほど羊になりきっている。

 

幼稚園では,キリスト生誕の場面を旧約聖書の創世記から始めている。暗闇の中に光が現れ混沌とした状態が,一つの秩序ある世界に変わる。創世記に書かれている天地創造の始まりである。しずしずと光が入場しChristmasの祈りが始まる。光の入場は混乱した世の中に希望と愛そして秩序をもたらす序章として演じられる。

 

天使によるお告げの場面,ヨセフとマリアが泊まる場所を捜し,やっとたどり着いた家畜小屋(洞穴)でイエス・キリストが誕生する。飼い葉桶に眠る救い主イエス誕生の喜びを最初に知らされるのは羊飼いたちである。いきをひそめていた仔羊たちが登場する。

 

本物の羊の群れかと思うように,舞台に登場する。

 

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羊飼いと共に,天使から救い主誕生の知らせ聞くのは,羊たちだ。ここに幼子たちがひつじに成りきっている真価がある。聖劇の体験を通して,見えない者の声を聴く心が培われていく。毎年繰り返される聖劇に,私たち大人は神から私たちに近づいてきてくださったこと,そして愛することを教えてくださったことを毎年々々再確認するのである。

 

セリフが多いとか,天使になったとか,マリア様になったとか配役の問題ではない。

子どもたちが演じる降誕の場面に,セリフは必要ない。救い主の誕生の場面を,心で感じ取っている子どもたちに,私たちも倣う必要があるのではないだろうか。ひつじの役を終えた仔羊が,静かに舞台から去る。仔羊が去った後の余韻として「我が,羊を担う」ことを子どもたちから教えてもらった。

 

神の前に「義」(正しい)と認められるのは何によってか,そして何時なのか・・・・。

「義」という字は, 【義=羊+我】 となっている。聖書の中で,キリストは象徴的に「犠牲の小羊(羔)」と呼ばれているから,「義」とは、"小羊なるキリストが我の上にあること"でしょう。「義」とは,我()の上にキリストを担ぎ,自分の救い主として迎えることなのでしょう。

 

知って得すること

「イエス」

ヘブライ語で発音するとヨシュアあるいはイェホシュア(Yehoshua)となり,アラム語では短縮されイェシュア(Yeshua)となる。本来は「神(ヤハウェ)は救いなり」を意味し,ヘブライ人の名前としてはごくありふれた名前であった。よって,他の「イエス」という名の者と区別するために、ナザレが出身地であったことから特に「ナザレのイエス」と呼ばれることもある。

 

「キリスト」

救世主を意味する語。これは古代ギリシア語からの転用でクリストス(Khristos)と発音する。本来はヘブライ語でマシーアハ(mashiah)「聖油を注がれたもの」神聖で特別な存在という意味で,これが救い主と訳されている。

 

「イエス・キリスト」

神は救い,救世主,というこれらの二語からなる名前です。イエス・キリストとは「救世主であるイエス」,「聖油を注がれたイエス」を意味します。

 

「タブロー」(仏: tableau

板絵やキャンバス画を指す言葉。活人画という意味で使われることもあり,クリスマスの時期になると,全国各地の多くのキリスト教系の学校でクリスマスタブローと称したキリスト生誕の様子を模した劇が行われる。台詞はごく少なくし,聖書朗読が静止した演者が作り上げる場面を説明する。

 

「パジェット(ページェント)」(英:pageant)

歴史的な場面を舞台で見せる野外劇のこと。あるいは祝祭日などに行われる仮装行列や,華麗・大規模なショーなどのこと。特に,クリスマス聖誕劇のことを言う。新約聖書に記された,イエス・キリストの誕生にまつわる様々なエピソードを象徴的な形式の劇にまとめたもの。pageantパジェントとは「ページを開く」と言う意味の言葉から派生していて,歴史的な出来事の場面を本のページをめくるように次々と表現していくという意味。

タブローと同様に,お告げの場面・羊飼いのキリスト礼拝・博士による捧げものの場面がpantomime方式で演じられる。

 

学校法人賢明学院 学院長 中原 道夫