優しい心を育むカトリック教育

2017/03/27

師道 その四

2017年3月27日(月)

 

東京郊外の大学で宗教教育論の研修会に参加していた。

 

木造校舎の一階のそんなに広くない部屋で,全国から集まった15名ほどがテーブルを囲んで,教育と宗教の接点やその必要性について学んでいた。夕刻になって,参加者にも少々疲れが出始めた時,窓越しに手を振る少年が私の席から見えた。どうやら私の隣に座っている先生のお子さんのようだ。先生が何度も目配せと,ジェスチャーで向こうへ行けと合図を送っている。そして,研修の邪魔が入ったことを謝罪するように参加者に頭を下げておられた。

少年は,父親の怒りに触れたことを悟ったのか窓際から離れ木立の方へ走って行った。

(先生の自宅は校内にあり,お子さんもその学校へ通っておられたことが後でわかったが,校内に先生方の家や創立者の家もあった。大学から幼稚園までを有し,丘や池,牧場もあり,広大な敷地の理想的な私塾の学校であった)

 

少年が立ち去ってから一分も経っただろうか,また少年が窓際に戻ってきて今度は窓をコツコツとたたいた。お父さん先生は,今度は席を立って窓際に行き窓を開けて「お父さんは今仕事中だからあっちで遊んでなさい」と少し怒りを込めた声で叱られた。「だって・・・お父さん。夕焼けとってもきれいだよ」父の怒りに触れ,少し怯えた少年の声が聞こえた。その時だった。座長の創立者が立ち上がり,「すぐに行きなさい」と,強い口調で叱責された。温厚な創立者國芳先生の予想しない反応に,参加者はあっけにとられた。研修の邪魔を叱責されたと感じた参加者もいた。

 

「子どもの心は,純粋でどんな時にでも育っている。美しさを感じたその時を大切にできないものは教師失格だ」と語気を強められた。美しいものに感動し,それを人に伝えたいと思ったその心を育むのが,宗教教育だと参加者に諭された。参加者は窓際に集まり西の空の見たこともない雄大な神々しい夕焼けに感嘆の声を漏らした。少年は得意そうに父親を見上げていた。創立者はその少年を抱き上げ「坊主,素晴らしいものを見つける力を君は持っている。君は良い先生になれるぞ」と少年の頭を撫でておられた。

 

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美しいと感じたその時の心に同調し,一緒になって美しさに触れることが子どもと同じ目線に立つことであり,美を大切にすることが,宗教教育の根幹であると解した。見えないものを見る力は,美に賛同し共感することが始まりなのだろう。一瞬を大切にすることを忘れてしまっては,教育は成立しないのだろう。そして受講者の琴線に触れる活動をしなければ,またできなければ教師とは言えないのではないだろうか。

 

ジャン=ポール・シャルル・エマール・サルトルの言葉

授業中、一生懸命聞いているように見える学生は、必ずしも内容を理解していない。

なぜならば、彼らのエネルギーは「聞いている」というポーズをつくることに集中されてしまうからである

Jean-Paul Charles Aymard Sartre
誕 生:1905621
    フランスの哲学者、小説家、劇作家
帰 天:1980415

 

学校法人賢明学院 学院長 中原 道夫