優しい心を育むカトリック教育

2017/05/13

#3BAF75

2017年5月13日(土)

 

仁豊野(兵庫県)の聖母奉献修道会を訪問した。のどかな風景が広がる地に本部修道院がある。修道院までの道中の山の木々や県道沿いの街路樹が息をしている。京都の川端通りを出町柳から北上し「曼殊院道」を過ぎた辺りから,分離帯の植え込みや川端通りの土手の桜並木,そして遠く東山の山肌や北山の山肌を眺めると,息をしているという自然の営みに,なるほどと頷けるのでないだろうか。

 

gakuintyo-20170513

 

自然の営みが織りなす変化を,言葉で表現することは難しい。また,自然の変化を表す言葉は見つけにくく,一言では表現できない。木々の木の葉の緑色を表すにも言葉では,鶸色・海松色・萌黄・青白橡・草色・根岸色・苔色・菊塵・若葉色・柳色・松葉色・浅緑・緑青色・鴨の羽色・錆浅葱・深緑・常盤色・青竹色・青磁色・萌葱色・鉄色・秘色・鶯色・老緑・青丹・抹茶色・白緑・裏柳・若苗色・老竹色・若草色・千歳緑・木賊色・若竹色等,こんなにも多くの表現方法があり,検索していくと最終的には「緑  #3BAF75 みどり」このような表現も表れて来る。そのものピッタリの表現ができないから,さまざまの言葉が生まれ,この色合わせを使って表現されてきたのだろう。自然は,風が吹いているときにでも,「私たちは一色ではありません」「みんな違った色です」と個々の違いを教えてくれている。木々を目にすると,葉っぱの色はこの緑ですなんて絶対に断言できないことが解る。

 

主に生垣として 使われる植木の一つに、レッドロビンという樹木がある。「レッドロビン」は,新芽が赤いが,葉が育って大きくなっていくにつれ緑が濃くなっていく。新芽から見ていくと,葉は緑ですと言えないよい例だろう。花が咲いて,はかなく散ってから葉芽が出る「桜」もあれば,花芽と葉芽の開きがほぼ同時になる「木」もあり,各々の違いは歴然としている。教職にある私たちも個々の違いを見抜く眼力を備えたいと思う。そして,雄大な営みや微細な違いに目が留まる眼力を備えたい。

 

幼稚園児がうずくまって地面を見ている。「どうしたの?」反応がない。「何か,いいものある?」反応がない。

ひたすら地面と対峙している園児の姿に,私も園児の視線の先をたどってみた。何も見えない。しかしよくよく見ると,小さなアリが一匹何かを運んでいる。五月にしてはアリの出番は少々早いと思ったが,その小さな小さな生き物の動きに一心に見入っている園児の姿に,その小さなものに興味を示す真剣さに,薫風の爽やかさを感じた五月初旬の日のひとときであった。

 

人を観察するのは、目によってする。

胸の中が正しいか正しくないかは瞳が明るいか暗いかによって分かる。』  吉田松陰

 

吉田松陰は文政13年(1830年)84日、長州藩の下級武士・杉百合之助の二男

として萩の松本村に生まれる。

その後、同じ長州藩の吉田家の養子となる。ペリーが来航した際,海外の文化に

感動を覚え黒船に乗り込もうとして捕まる。 吉田松陰は25歳。

松下村塾を引き継ぐ,塾の出身者に伊藤博文、高杉晋作、山県有朋、前原一誠など

幕末から明治維新にかけて活躍する人々が多くいる。

 

学校法人賢明学院 学院長 中原 道夫