優しい心を育むカトリック教育

2017/06/08

奇跡の人

 

2017年6月8日 (季月)

 

小学校の低学年の頃,母と姉に連れられて映画を見に行った記憶がある。『The Sound of Music』も記憶に鮮明だが,教育職に就いてからは幼いころ見た『奇跡の人』の映画をしばしば思い出す。映画を見た当時は,あまりおもしろいとも楽しいとも思えなかったが,映画に登場するサリバン先生の情熱が何かの影響を私に与えたのだろうと思う。

 

(あらすじ)

主人公のHelen Adams Keller(ヘレン)は、1880627日、アラバマ州タスカンビアに生まれた。1歳9カ月のときに胃と脳髄の急性充血による高熱で、視覚と聴覚を失い、言葉が不自由になった。両親は三重苦のヘレンが短気でワガママな子どもになるのを見るにつけ、教育の必要性を痛感して家庭教師を雇う。ヘレンが6歳の時、パーキンス盲学校の卒業生Anne Sullivan(アン・サリバン)当時20歳が、家庭教師として派遣された。サリバン自身も3歳で失明し、手術によって視力を取り戻した過去があった。

 

着任後アニー先生の苦闘が始まる。手でアルファベットを綴る方法、行儀の躾け、生活の基本など教えた,しかしヘレンへの指導は強制の結果でしかないことに気づき、深刻な懐疑に包まれた。ただ、何かを求めて成長しようとするヘレンの気持ちに支えられ、夫妻に2週間だけ自分とヘレンの2人だけにしてくれるよう頼み、全力を尽くした。アニーを嫌うヘレンもやがて慣れ、食事、散歩、手の綴りも上手くなった。約束の2週間は過ぎ、あと1週間の延長を両親に頼んだが、両親はヘレンを家に連れ帰ってしまった。娘を甘やかすに違いない肉親たちを前に、アニーは自分の無力感をかみしめた。夕食の席で家に帰ったことを知ったヘレンは、2人だけの生活の時とは全く違い手掴みで食事して、水差しを倒す。家族たちの反応を探ろうとする少女の本能的な計算がそこに感じられたアニーは、ひきとめる母親をふりきってヘレンを井戸端へに引きずり出し、こぼした水を水差しに汲ませた。井戸の冷たい水、それがヘレンをとりまくカベを破った。ヘレンの手に水を注ぎながら「w-a-t-e-r」と指文字(指話法)で何度も綴っていると、突如としてヘレンは言葉と物を結びつけ、すべての物に名前があることに気づいた。5年間の暗闇に光が差したヘレンは、ポンプなど数語を尋ねた後、サリバンの方を向いて名前を聞いた。手の平に綴られたのは「t-e-a-c-h-e-r 」。“先生”の名の通り、サリバンは人生の先輩として、全存在をかけてヘレンに向き合っていく。「water」を理解した日の夕刻には、「give」「go」「baby」「door」「open」「come」など30もの単語を覚えていた。

 

 「言葉の存在を最初に悟った日の夜。私は嬉しくて嬉しくて、ベッドの中で、この時初めて、“早く明日になればいい”と思いました」とヘレンはのちに語っている。翌朝「彼女は妖精のようにベッドから跳ね起きると、手当たり次第に物の名前を尋ね、一語学ぶ度に感激して私にキスしました」。と後にアニー先生は語っている。 3カ月後には300個以上の単語を記憶し、「very」という言葉を知った時は、「very happy」のように他の単語を組み合わせて表現することに夢中になった。

 

『トム・ソーヤの冒険』の著者マーク・トウェイン(Mark Twain,本名Samuel Langhorne Clemens)はヘレン・ケラーを称して次のように語っている。

19世紀にはふたりの偉人が出た。ひとりはナポレオン一世であり,いまひとりはヘレン・ケラーである。ナポレオンは武力で世界を征服しようとして失敗に終わった。しかしヘレンは三重苦を背負いながら,心の豊かさ精神の力によって今日の栄誉を勝ち得た」

 

gakuintyo-20170608

 

恩師を讃えた『教師、アン・サリバン・メーシー』(1955)や『奇跡の人 ヘレン・ケラー自伝』(1959)を読み,先生との出会いが≪変化≫の始まりと痛感する。自身の教師生活を振り返ると,反省の大波がいつも押し寄せてくるが,この押し寄せる大波と共に20歳のAnne Sullivan先生の情熱にいつも励まされた。

 

Anne Sullivan

誕生 1866年4月14日

帰天 1936年10月20日

 

Helen Adams Kellerの言葉

誕生 1880年6月27日

帰天 1968年6月 1日

 

「世界を動かすのは、英雄の強く大きなひと押しだけではありません。

誠実に仕事をする一人ひとりの小さなひと押しが集まることでも、世界は動くのです」

 

「私は一人の人間に過ぎないが、一人の人間ではある。何もかもできるわけではないが、何かはできる。

だから、何もかもはできなくても、できることを拒みはしない」

 

学校法人賢明学院 学院長 中原 道夫