優しい心を育むカトリック教育

2017/06/10

賢明TIME

 

2017年6月10日 (弥涼暮月)

 

小学生だった頃,時の記念日のポスターを作る課題が毎年あり,時間を大切にしましょうというテーマのポスター制作が,図工の時間の定番だった。ところが「時の記念日」を知らない人が最近多いと聞き,驚くと同時にこれも時代の変化なのかと思案することがある今日この頃だ。

 

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教師になってから時間をはかる最初は,日時計だったことを教えるために,運動場に柱を立てて日時計を作ったり,画用紙に鉛筆を立て影の位置と時間を記入した日時計を作ったりした。運動場の即席の大きな日時計の影と影の角度が,画用紙上の影とその角度が同じであることを,分度器を使って確認して日時計を理解させた。児童達の単純な質問は「先生,夜はどうやって図るの?お月様?」「どうなるの・・・?」というものだった。そこで水面の高さで時間をはかる水時計が発明され,夜でも時刻がわかるようになったと切り出して説明を加える。児童たちには,観察実験や歴史の具体的な話を通して,時間の計り方や大切さを伝えていた。

 

天智天皇の時代,西暦671年4月25日,漏刻と鐘鼓によって初めて時を知らせたという『日本書紀』の記事に「漏刻を新しき台に置く。 始めて候時(こうじ)を打つ。鐘鼓(しょうこ)を動す。」と記されていることに基づき,その年月日を太陽暦に換算して「時の記念日」が定められた。

 

資料には第1回の記念日は大正9年(1920年)6月10日と記録されている。衣食住をはじめ,社会生活の近代化推進という当時の世相のなかで,【時間厳守】,【時間割による行動規律】,【時間を節約することによる効率性の向上】が,近代生活の基本として位置づけられたそうだ。当時の文部省の外郭団体として生活改善同盟会が組織され,生活改善運動が始まった。その実行目標の第1項に「時間を正確に守ること」と書かれている。文部省もそれに呼応して,時間尊重の教育的意義を重視して指導が始まった。このような時代背景があって,「世界一時間を守る国」と称されるようになったのだろう。時間通りに電車がホームに入ってくる様子に驚愕している外国の人たちは,日本ではすべての職種において時間を守ることが当然となっていると認識しているのだろう。

 

時の記念日という意識を持たせ,時間の大切さを改めて再認識させなくても,賢明学院には伝統的に「賢明タイム」と言う生活習慣があり,学院創立以来この習慣が守り続けられている。これは別名5分前行動として入学時のORIENTATIONに『KENMEI  TIME』として組み込まれている。

 

時は過ぎ去ってしまえば取り戻す事が出来ないものだ。他者の大切な時間を奪わないようにすることが,すなわち人を大切にすることである。友の為に自分の時間を使う行為ほど,尊い行為はないと言えるのではないだろうか。

 

盗賊に遭い,傷つき倒れている人を見たサマリア人は,自分の時間を使ってその旅人を介抱し宿屋に伴い,治療費と宿泊費を支払う。旅の途中の一刻を大切にしなければならない旅人(サマリア人)は自分の時間を人の為に使った。

 

『隣人とは誰か』  ルカによる福音書 1025節~36

 

「ある人がエルサレムからエリコへ下って行く途中、追いはぎに襲われた。追いはぎはその人の服をはぎ取り、殴りつけ、半殺しにしたまま立ち去った。ある祭司がたまたまその道を下って来たが、その人を見ると、道の向こう側を通って行った。同じように、レビ人もその場所にやって来たが、その人を見ると、道の向こう側を通って行った。ところが、旅をしていたあるサマリア人は、そばに来ると、その人を見て憐れに思い、近寄って傷に油とぶどう酒を注ぎ、包帯をして、自分のろばに乗せ、宿屋に連れて行って介抱した。そして、翌日になると、デナリオン銀貨二枚を取り出し、宿屋の主人に渡して言った。『この人を介抱してください。費用がもっとかかったら、帰りがけに払います。』さて、あなたはこの三人の中で、だれが追いはぎに襲われた人の隣人になったと思うか。」律法の専門家は言った。「その人を助けた人です。」そこで、イエスは言われた。「行って、あなたも同じようにしなさい。」

 

学校法人賢明学院 学院長 中原 道夫