2017/07/13
2017年7月13日
初めて小学校校歌が斉唱されたのは,1966年3月,第1期生の卒業式でした。
校歌斉唱の指導をしてくださった先生のノートには,作曲者川澄健一先生からの指導が残っている。
下記の( )のメモは当時の先生のノートから写させて頂いたものであるが,表現されている言葉も専門用語ではなく,児童に大変理解しやすい指導の言葉が使われているのではないだろうか。当時の先生がたが児童に託した願いと思いを,小学校に在学していた人々がこの校歌を斉唱するたびに思い出し,心に留め,意を引き継いでいって欲しいと願っている。
賢明学院小学校校歌 (1966年2月制定)
作詞 巽 聖歌
作曲 川澄 健一
1 山からやさしくくる風は (はっきり,しっかりうたう)
山百合の花のよいにおい (はっきり,しっかりうたう)
どなたがお通りなさるでしょう (おさえてうたう)
イエズスさまではないかしら (はっきり,しっかりうたう)
栄えあるこの丘 賢明学院小学校 (誇らかに,明るく,元気よくうたう)
2 昔は堺の港から
外国の文化すい込んだ
今では世界に積みいだす
科学の精華ここの町
栄えあるこの丘 賢明学院小学校
3 読書する声 歌う声
教室の窓によくひびく
どなたが守っているのでしょう
チャイムの音も冴えている
栄えあるこの丘 賢明学院小学校
賢明学院小学校の第3代校長 シスター山本照子(1971~1994校長就任)の父上と母方の伯父上は,共に北原白秋の弟子であった。賢明学院の小学校らしい校歌を作りたいと願ったシスター山本は,北原白秋に師事していた巽聖歌氏に小学校校歌の作詞を依頼された。
出来上がった歌詞をもって来校された巽聖歌氏と,シスター山本校長先生,そしてのちに第5代校長になられた中辻武一先生と,シスター藤井佐代子先生との四人で,さらに歌詞を検討し各連の最後を「栄えあるこの丘 賢明学院小学校」と定められた。その後も,何度かの推敲を重ね,現在の校歌の言葉が決定された。
作曲者は初代奉献会会長の知人であり,当時,帝塚山学院で音楽を担当しておられた川澄健一氏に依頼した。作曲者である川澄先生は歌唱指導に来校され,何度も全校生で練習したと聞き及んでいる。
巽 聖歌(たつみ せいか) 本名 野村 七蔵(のむら しちぞう)
生誕 1905年(明治38年)2月12日
帰天 1973年(昭和48年)4月24日
岩手県紫波郡日詰町(現在の紫波町)出身。童謡「たきび」の作詞者として知られる。童謡雑誌「赤い鳥十月号」に巽聖歌のペンネームで発表した「水口」が北原白秋に絶賛される。北原白秋に師事し,童謡・少年詩・近代短歌の歴史の上に業績を残した。1941年、第2回児童文化賞受賞。
作品に童謡集「春の神様」「おもちゃの鍋」などがある。
キリスト教信徒であり、ペンネーム「聖歌」の由来も同教からつけられた。讃美歌318番「主よ、主のみまえに」は、巽聖歌の作品。
学校法人賢明学院 学院長 中原 道夫