2017/10/23
10月は英語でOctober。ラテン語で「第8の」という意味の "OCTO" に由来している。10番目の月なのになぜOCTOなのだ,疑問である。
この謎の原因は,ローマ暦にある。グレゴリオ暦で10月は,年の第10の月に当たり,一般的な暦では10番目の月であるが,紀元前46年まで使われていたローマ暦では3月が年始で,3月から数えて8番目という意味があるそうだ。世の中にはこのように理屈が絡み合って現在に引き継がれていることが多々ある。
日本では,旧暦10月を神無月(かんなづき、かみなしづき)と呼び,新暦10月の別名としても用いられている。全国の八百万(やおよろず)の神々が出雲の国に集まる。他の土地では神様が留守になるので神無月といわれるが,出雲では神在月と呼ばれる。 神々が集う出雲の各神社では「神迎祭(かみむかえさい)」に始まり,「神在祭(かみありさい)」と続き,そして全国に神々をお見送りする「神等去出祭(からさでさい)」が行われる。
神無月は字のごとくならば,神様がいない月になる。全国の神様は出雲の国に集まっておられ,出雲の国以外に神様はいらっしゃらないことになる。ところが,ここからが何ともいとおしいほどの,先人たちの教えがある。
それは,全ての神様が出雲に出かけてしまうのではなく,個々の神社に留守番をする神様もおられるというのである。なかでも代表的な神様が「恵比須神」(えびすしん)であり,その他には「金毘羅神」(こんぴらしん),「竈神」(かまどしん),「道祖神」(どうそじん)などの神様たちである。この留守神様たちが,各都道府県の民を守って下さっている。 多くの神様が留守の間にも,留守神様は私たちを守って下さるのだ。人間を超えた存在をこの様にして代々伝え,伝えられた民は理屈でなくその教えを受け取り,後世に引き継いできたのだ。
太陽を拝み,大樹に神がおられるとして大樹を大切にし,釜戸の火にも神様を思い,大切に敬い,森羅万象すべてに神様がおられるという言い伝えは,すべてに感謝,すべてを大切にという人間が自然を“おさめる”上での必須の知恵ではなかろうか。
「人間が完全に自然から離れることはない。あくまで人間は自然の一部だ」
「過去の危険は,人間が奴隷になることだった。
未来の危険は,人間がロボットになるかもしれないことだ」
The danger of the past was that men became slaves.
The danger of the future is that men may become robots.
Erich Fromm エーリッヒ・フロム
生誕 : 1900年3月23日
帰天 : 1980年3月18日
エーリヒ・ゼーリヒマン・フロム(Erich Seligmann Fromm)本人はエーリ
ック・フロムと発音されることを望んでいたという。
社会心理学,精神分析,哲学の研究者である。ユダヤ系。マルクス主義とジー
クムント・フロイトの精神分析を社会的性格論で結び付けた。
読んでほしい作品
『人間における自由』『正気の社会』 『愛するということ』『自由からの逃走』
学校法人賢明学院 学院長 中原 道夫