優しい心を育むカトリック教育

2017/11/17

寛 容

スーパーマーケットのレジの横に,買ったものを袋に詰めるための台が置いてある。海外では目にする事がない,日本ならではの親切な設備だ。その台の上には,つい先日までハロウィンのお菓子の案内が,ラミネートされ置かれていたが,11月の声を聴くと同時に,おせち料理とクリスマスケーキの申込用紙に取って代わった。肌寒くなると同時に,次々と繰り出される店舗の企画に,消費者は追い立てられているのではないだろうか。宣伝されている品物を買わなければ,時代遅れとでも言われているかのように感じる。

 

本学院では待降節の準備が始まり,クリスマスを祝う聖歌の練習や聖劇の練習が始まっている。ところで,「クリスマスってなぁに?」と聞かれたら,あなたは何と答えますか。

 

アッシアは,クリスマスを祝ったことのない遠い国からやってきました。アッシアの国では内乱がおこり,国の中で戦争をしています。たくさんの人がいじめられたり殺されたりしています。食べ物がありません。着る服もありません。家も学校も爆撃で破壊されました。彼女はそこから逃れてきた難民です。彼女がやってきた国では,彼女のような肌の色の子は少なかったようです。大人たちのなかには,この子はいったいどこから来たのだろうと,少し嫌な眼で見る人もいました。アッシアが逃げてきた国では,クリスマスの準備が始まっていました。キラキラ光るイルミネーションが街を飾っています。お店の入り口には,きれいに飾られたモミの木が飾ってあります。クリスマスの音楽も街に流れています。ケーキ屋さんにはクリスマスのケーキが売られています。クリスマスプレゼントの販売やクリスマスバーゲンが始まり,たくさんの品物があふれています。

 

アッシアは不思議に思います。どうしてこんなにたくさんの品物があるのかしら。どうしてみんなウキウキしているのかしら。そこで彼女は勇気を出して聞いてみました。「クリスマスって,なんですか?」するとみんなは,笑い出します。クリスマスを知らない人がいるなんて信じられなかったからです。クラスの友達はアッシアに教えてくれます。「クリスマスには,窓にお星様を書くんだよ」「クリスマスにはお家をきれいに飾るの」「ママが,クッキーを焼いてくれるの」「サンタクロースが来るよ」「新しい自転車をもらえるの」「大きな人形をもらえるの」「パパがクリスマスツリーの飾り付けをするんだ」いろいろな答が返ってきます。でも,アッシアはクリスマスが何の日なのか,わかりません。

 

先生が言います。「わたしにとって,クリスマスは古い聖書のお話を聞かせるときです。」そこで聖書にどんなことが書いてあるか,先生が話を始めます。マリアとヨセフが旅の途中,泊まる場所がなかったこと,羊飼いたちに天使が現れたこと,博士たちをベツレヘムに導いた星のこと,そして博士たちはアッシアのようにこげ茶色の肌をしていたこと。でも,アッシアはクリスマスが何の日なのか,わかりません。

 

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「わかったわ!クリスマスが,なにか。クリスマスって,みんなにとってよろこびの時!」

 

彼女は悟るのです。クリスマスはみんなにとって喜びの日だと。

マックス・ポリガー作『クリスマスってなぁに』より

 

ヨハネによる福音書 15章1~5

わたしはまことのぶどうの木、わたしの父は農夫である。

わたしにつながっている枝で実を結ばないものは、父がすべてこれをとりのぞき、実を結ぶものは、もっと豊かに実らせるために、手入れしてこれをきれいになさるのである。

あなたがたは、わたしが語った言葉によって既にきよくされている。

わたしにつながっていなさい。そうすれば、わたしはあなたがたとつながっていよう。枝がぶどうの木につながっていなければ、自分だけでは実を結ぶことができないように、あなたがたもわたしにつながっていなければ実を結ぶことができない。

わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。もし人がわたしにつながっており、またわたしがその人とつながっておれば、その人は実を豊かに結ぶようになる。わたしから離れては、あなたがたは何一つできないからである。

 

学校法人賢明学院 学院長 中原 道夫