優しい心を育むカトリック教育

2017/12/04

インマヌエル

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Christmasについての研修の後に質問があった。イエスと言われているのにイザヤ書では,インマヌエルと言われているのはなぜですか?

 

これは,いい質問だと思う。長い間キリスト信者でいると,聖書の記述に疑問すら持たなくなってしまいがちになる。

 

「インマヌエル」(ヘブライ語)とは,旧約聖書に登場する人物である。

 

『イザヤ書』7章の14節と8章の8節に,その誕生が預言されている。そして,新約聖書の『マタイによる福音書』1章の23節にも登場する。インマヌエルは,インマヌ(われらとともにいる)とエル(神)を組み合わせた語で,これが名前ともなり,イエス・キリスト​の​呼び名​の​一つとなった。「神​われら​と​ともに​います」と​いう​意味​の​ヘブライ語​から​出た​言葉でもあり,「神はわれらとともに」という意味を持つ,固有名詞と理解してもよいだろう。しかし本来,状態を意味するのではなく「神性と人性が共にある存在」という意味を表しているのだ。このような説明で,聞き手の心にインマヌエルと言う名前の意味が入るとは思いもしていないが,正論として理解しておいて頂けると有り難い。

 

イエス:「神は救い」を意味するユダヤ人の男性名。当時のユダヤ人としてはありふれた,一般的な男性名。

 

キリスト:ヘブライ語の意味は「膏(あぶら)を注がれた(塗られた)者」または「受膏者」。古代イスラルにおいて,預言者,祭司,王などの就任に際して,膏を塗る習慣があった。そこで,この三つの職務(預言職・祭司職・王職)を併せ持つ,ナザレ出身のイエスを指す称号としてキリストが用いられた。

 

イエス・キリスト:ギリシャ語で主格を並べた同格表現,「キリストであるイエス」「イエスはキリストである」の意味を持つ。マタイ伝・マルコ伝においては,それぞれの冒頭で「ダビデの子イエス・キリスト」「神の子イエス・キリスト」と表している。パウロの書簡では「イエス・キリスト」「キリスト・イエス」との表現も見られる。

 

「キリスト」は救い主への称号であるので,キリスト教の初期においては,イエスを「イエス・キリスト」と呼ぶことは,「イエスがキリストであることを信じる」という信仰告白そのものであったと考えられる。

 

マタイによる福音書1:20~23

「ダビデの子ヨセフ、恐れず妻マリアを迎え入れなさい。マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである。マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである。」このすべてのことが起こったのは、主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった。 「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」この名は、 「神は我々と共におられる」という意味である。

 

イザヤ書 7:12~14

しかし、アハズは言った。「わたしは求めない。主を試すようなことはしない。」イザヤは言った。「ダビデの家よ聞け。あなたたちは人間にもどかしい思いをさせるだけでは足りずわたしの神にも、もどかしい思いをさせるのか。それゆえ、わたしの主が御自らあなたたちにしるしを与えられる。見よ、おとめが身ごもって、男の子を産みその名をインマヌエルと呼ぶ。

 

 

学校法人賢明学院 学院長 中原 道夫