優しい心を育むカトリック教育

2017/12/15

Rorate ロラテ Christmas version Ⅴ

gakuintyo-20171217

 

PRO  VARIIS  TEMPORIBUS  ANNI   LITURGICI

 

待降節の聖歌ロラテの出だしはRorate caeli de super et nubes pluant justum.だ。

 

「天よ,露を滴らせよ。雲よ,正義を降らせよ。」

「地が開いて,救いが実を結ぶように。恵みの御業がともに芽生えるように。わたしは主,それを創造する」

 

待降節(ラテン語で「到来」を意味するadventus)になると,このグレゴリアン聖歌「RORATE」が,一日の終わりに歌われる。振り返ってみれば,学生時代を含んで10年間もの間,この聖歌を待降節に歌っていた私は,今でも空で歌えるほど,歌詞をはっきり覚えている。この聖歌は四番まであるので,待降節が一週進むごとに順次,一番ずつ増えて歌う。グレゴリアン聖歌として,とても美しい旋律の聖歌だ。CDの販売もされているので,皆さんに聞いてほしい聖歌の一つだ。

 

今年,2017年の待降節は,12月3日(日)から始まり,四週を過ぎた25日(月)に主の降誕を迎える。

 

イエスがいつ生まれたのか,聖書には何も書いていないが,カトリック教会では待降節をキリストが誕生された日を待ち望み,準備する期間として過ごすこととなっている。旧約聖書に描かれている神と人間の関係の歴史は,人間の数限りない神へのそむきと,それにもかかわらず,絶えず人に回心を呼びかける神の深い慈しみとの間で織りなされている。待降節はこの人間の罪の闇と,いつも人間を受け入れてくれる神の愛の温かさのコントラストが,最もはっきりしている季節をふり返る時とも言える。

 

私たちは,必ずしも完成された存在ではない。常に未完成であり,成長の過程にあり,旅の途上にある存在である。したがって,教会とはキリストの到来,また神の国の到来を「待ち望む」共同体にほかならないと言える。「待つ」ということは,いつも容易なわけではない。この地上に満ちる悪や苦しみに直面したとき,私たちは旧約時代の神の民のように,「主よ、いつまでなのですか。」(詩篇131節)と苦しさのあまり,訴えてしまうのだろう。

 

しかし,再び救い主イエスが来られるという約束が,与えられている新約時代の私たちは,「しかり,わたしはすぐに来る」と言われるイエスに対し,「主イエスよ,きたりませ」と,確信を持って祈ることができる状況にある。(黙示録2220節)。

 

ADVENTUS アドベント

12月25日の4週間前の日曜日から,24日までの期間を,アドベント(待降節)と呼びます。

「アドベント」には,「到来」,「接近」,「出現」などの意味があります。待降節の「降」は「降誕節(クリスマス)」,「節」は「時期」,つまり待降節とは,「クリスマスを待望する時期」という意味です。

 

CHRISTMAS EVE

Christmas eve 「クリスマス(当日)の夜」という意味です。

「クリスマス・イヴ」は「クリスマス前夜」とか「前日」と言う意味ではなく,《「イヴ(eve)」は「evening(夜,晩)」と同義の古語「even」の語末音が消失したもの》本来の意味は「クリスマスの夜」。「クリスマスの前夜祭」ではありません。

イエス・キリストの誕生日を祝い始めた教会では,当時ユダヤ暦を使っていたので,Christmas24日の夜です。ユダヤ暦および,それを継承する教会暦では,日没をもって日付の変り目とするため,クリスマス・イヴの日没からクリスマスを起算します。日没から1日が始まるユダヤでは、24日の日没からクリスマスが始まり,25日の日没直前でクリスマスが終わります。ユダヤ暦では,1日の始まりは『太陽が沈む夕方』とされていました。

 

 

学校法人賢明学院 学院長 中原 道夫