優しい心を育むカトリック教育

2018/01/18

「無懼風雨」

今年届いた年賀状で印象深いものがあった。

 

印刷された新年の挨拶の後に,手書きで一文添えられていた言葉が,私の今年の抱負を「そんなのじゃ,甘いぞ」と,諭してくれている気がした。ほぼ同時に出した年賀状だから,差出人は私の今年の抱負を見抜いていたとしか言えない。私は,2018年からは,過去を振り返って穏やかに,淑やかに,目立たぬように,騒がぬように,人としての未熟さを修正できる年にしたいと考えていた。文字にすると,かつて一世風靡した歌手の歌のようだとは思ったが,好きな歌手だから勝手に使わせてもらい,自我自賛していた今年の抱負である。

 

爽やかで,ちょっと渋さもある60代の後半を意識し,尚且つ穏やかな人をイメージしていたが,宮澤賢治の詩のどこかを,表面的な理解で意識していたのかもしれない。

 

手書きで添えられた一文は,坂本龍馬の言葉らしい。人を意識した評判を意識した,甘い考えを諫めてくれる言葉だ。単に人を意識するような,生ぬるい私の抱負を一蹴された。自分は自分だ。自分を磨くのは自分だ。文字の奥にある物,言葉の奥にある物を見抜く力を身に着けなければ,爽やかでちょっと渋さのある大人には慣れないのだろう。ましてや,普遍的な問いに挑む資格などないのだろうと,予測出来た。

 

『丸くとも一かどあれや人心 あまりまろきは ころびやすきぞ』坂本龍馬

 

自分らしさは人に媚びる事でもないし,人に合わせる事でもない。「らしさ」とは,これほど難しいものであると,新年早々考えさせられた。坂本龍馬をきっかけに,宮澤賢治に再挑戦するのも,今年の課題の一つかもしれない。

 

宮澤賢治は,私の大好きな作家の一人だ。小学校の国語の教材にも彼の作品は取り上げられているが,好きな作家なのに授業化することは苦手だった。特に『やまなし』は,苦手だったことが記憶にある。趣のある文章の文字を追って読むのではなく,心で文章全体を味わって読めるようになって欲しいという勝手な思い込みが,授業化を妨げていたのだろう。

 

そして「雨ニモマケズ」を読み返してみると,内容に壮大な「こころ」を感じ,聖書の『良きサマリア人』の喩え話とかぶさってしまった。宮澤賢治の作品に,曲を付けて歌とする試みも行われ,ザ・フォーク・クルセダーズ2002年の再結成アルバム『戦争と平和』に,収録されている。きっと賢治の心を伝えたかったのだろう。 

 

ジョバンニは優しさや悲しさを感じ、幸せのことを考えるのです。

「ぼくはおっかさんがほんとうに幸せになるなら、どんなことでもする。けれども、いったいどんなことが、おっかさんのいちばんの幸せなんだろう」カムパネルラは泣くのをこらえるように言います。

 

「ああそうです。ただいちばんのさいわいに至るためにいろいろのかなしみもみんなおぼしめしです」家庭教師は祈るように言います。

 

銀河鉄道の旅も終わりの方でジョバンニは言います。「けれどもほんとうのさいわいは一体何だろう。」

 

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学校法人賢明学院 学院長 中原 道夫