優しい心を育むカトリック教育

2018/01/24

ステンドグラス Ⅱ 麦と聖書

祭壇の左右にブドウと天使,そして麦が描かれます。実りの秋を感じる大地から,天へ向かって実った穂を傾けることなくまっすぐ伸びています。その先には賢明の子どもたちの未来への夢と希望,そして夢を意図した円が描かれます。

 

麦は,ブドウの次に多く,聖書に登場する植物です。

 

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聖書の中で「麦」が登場する個所は約200箇所もあります。麦には大麦と小麦があり,聖書には大麦の一種である,裸麦も登場します。ヨハネ福音書には,「はっきり言っておく。一粒の麦は,地に落ちて死ななければ,一粒のままである。だが,死ねば多くの実を結ぶ」と,書かれています。

 

五千人以上の人々へ食べ物を分け与えた奇跡の場面には,少年がさし出した食べ物の中に,五つの大麦パンと二匹の魚が,書かれています。キリストのからだの象徴のパンのもとである麦は,ブドウと共に聖書にしばしば登場します。

 

旧約聖書のルツ記では,ルツが落ち穂拾いのために,ボアズの大麦畑に行く様子が書かれています。ルツはその後ボアズと結婚し,イエス・キリストの祖先の一人となりました。

 

≪旧約聖書 ルツ記 2章 14~18節≫

食事のとき,ボアズはルツに声をかけた。「こちらに来て、パンを少し食べなさい,一切れずつ酢に浸して。」ルツが刈り入れをする農夫たちのそばに腰を下ろすと、ボアズは炒り麦をつかんで与えた。ルツは食べ,飽き足りて残すほどであった。 ルツが腰を上げ,再び落ち穂を拾い始めようとすると,ボアズは若者に命じた。「麦束の間でもあの娘には拾わせるがよい。止めてはならぬ。 それだけでなく,刈り取った束から穂を抜いて落としておくのだ。あの娘がそれを拾うのをとがめてはならぬ。」 ルツはこうして日が暮れるまで畑で落ち穂を拾い集めた。集めた穂を打って取れた大麦は一エファほどにもなった。 それを背負って町に帰ると,しゅうとめは嫁が拾い集めてきたものに目をみはった。ルツは飽き足りて残した食べ物も差し出した。

 

≪新約聖書ヨハネ福音書12章24~25節≫

まことに,まことに,あなたがたに告げます。一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ,それは一粒のままです。しかし,もし死ねば,豊かな実を結びます。自分のいのちを愛する者はそれを失い,この世で自分のいのちを憎む者はそれを保って永遠のいのちに至るのです。

 

この箇所の自分の命を愛するとは,自分中心にものごとを考えることを指しています。自分が生きるために必死になり,利己主義に陥っている状態の人のことです。自分の命を憎む人とは,自殺志願者のことではありません。この世の様々な価値観に支配されず、自分の利益に執着しない人を指します。

 

相田みつお先生の言葉が,聖書の意味をよく表しているのではないでしょうか。

 

『わたしは無駄にこの世に生れてきたのではない。

また人間として生れてきたからには無駄にこの世を過したくはない。 

私がこの世に生れてきたのは私でなければできない仕事が何か一つこの世にあるからなのだ。 

それが社会的に高いか低いかそんなことは問題ではない。 

その仕事が何であるかを見つけ、そのために精一杯の魂を打ち込んでゆくところに人間として生れてきた意義と生きてゆくよろこびがあるのだ。』   相田 みつを

 

学校法人賢明学院 学院長 中原 道夫