優しい心を育むカトリック教育

2018/02/09

どう生きるか

先日,高校三年生に話をする機会があった。毎年,卒業前の生徒諸君に話をするように計画されているのだが,その都度今年の卒業生には何を伝えようかと,この時期が近付くと毎年悩んでしまう。彼らの三倍以上の人生を生きて来た者として,伝えたいことは大なり小なり,山のようにある。彼らに失敗してほしくないこと,成功してほしいことなど次々と思いは湧いてくる。伝える側の話は尽きなくなるほど多くあるが,18歳の若者にとっては,眼前の諸々のことに夢にあふれている現在,訓戒などに聞く耳は持たないと感じ,今を起点として,これからの18年を考えてもらう機会とした。

 

彼らの数年先には,東京でOlympic Paralympic Gamesが開催される。万博も日本で開催されることが濃厚になって来ている。これは,私の青春時代によく似ている。大学受験の時は,札幌で冬季オリンピックが開催され,高校時代には大阪万博が開催された。小学校の時は東京オリンピックが開催された。

 

好景気の真っただ中,学生生活を送っていた。ファーストフード店が,新店を次々とオープンする時代で,アルバイトをするにはこと欠かない状況だった。学生にとっては,ありがたい時代であった。しかし学生時代の後半には,オイルショックが起き,ニクソンショックとのダブルショックで,就職難の時代へと,あっという間に一転した。その後,景気は盛り返しバブル景気に沸いたが,突然のようにバブル景気は崩壊を迎えた。景気をグラフで表すと,極端な乱高下が見られた。日本通貨の円も,固定相場から変動相場に変わった。時代は留まることなく,常に変化していく。その変化の中で,人としてどのように成長していくか,どのような人生を歩むかが大切だと,私は彼らに訴えた。

 

何を軸として生きる,社会人になるのか・・・・・。

 

迷ったとき,判断を迫られたとき,何を基準にして進むのか・・・・・。

 

困ったとき・迷ったときこそ,賢明学院で学び,体験したことを,軸としてほしい。「良いと思うことを,何でもしなさい」と創立者が語ったこの言葉は,「良い」とは,自己中心ではなく真理が軸となるということを示唆している。自分より人を優先する。ときには,その場に立ち止まり,しっかり考え行動する。

 

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これからの人生で,何かに向き合わなければならないとき,世界に貢献した人からも学んでほしい。教科書には出てこなくても,世界貢献した日本人多くいる。彼らの生き方に,自分が進もうとする人生の軸を,気付かされるのではないだろうか。ぜひ参考にしてほしいと思っている。

 

杉原 千畝(すぎはら ちうね)1900年~ 1986

日本の外交官。第二次世界大戦中リトアニアのカウナス領事館に赴任していた時,ナチス・ドイツの迫害によりポーランド等欧州各地から逃れてきた難民たちの窮状に同情。外務省からの訓令に反して,大量のビザ(通過査証)を発給し、およそ6,000人にのぼる避難民を救った。

 

樋口 季一郎(ひぐち きいちろう)1888年~1970

日本陸軍の軍人。兵庫県の淡路島出身。ユダヤ難民を救済した。

1938年(昭和13)3月モンゴルと満州の国境付近にあるオトポール駅で,旅費も食事も防寒服も満足になく凍死寸前の状況にあったユダヤ難民を保護し,彼等の命を救った。

 

八田與一(はった・よいち)18861886

日本の水利技術者。日本統治下の台湾において,日本人も台湾人も関係なく民のために尽力した日本人技師。

台湾南部の嘉義から台南まで広がる嘉南平野にすばらしいダムと大小さまざまな給水路を造り15万ヘクタール近くの土地を肥沃にし100万人ほどの農家の暮らしを豊かにした。

 

西岡 京治(にしおか けいじ)1933年~1992

海外技術協力事業団に所属して活動した日本人農業指導者,植物学者。ブータンの農業の発展に大きく貢献し,「ブータン農業の父」といわれブータンで国葬された日本人。

 

学校法人賢明学院 学院長 中原 道夫