優しい心を育むカトリック教育

2018/02/27

 

厳しい過酷な季節を乗り越え,微かに三寒四温を感じられる今日この頃,窓の外に目をやると,校庭の木々が芽吹く準備を整えていることが解る。なかでもリヴィエ門近くの桜の木には,蕾と識別できるものが生まれ,目に映るようになってきている。見えないところで生命のメカニズムは休まず動き,厳しい環境に耐え,春を迎える準備をしていたのだと感じる。桜の木は,36度を超す猛暑の夏を,また雪が降り路面が凍りつく冬を,黙って静かに耐えてきた。暑いとも寒いとも,一切の不平不満を言わず,春になれば可憐な花を満開にして,人々の心に安らぎを与えるこの桜の木は,毎日登校してくる児童生徒たちを見守ってくれている。今まで何人の児童生徒たちの入学を見守り,何人の賢明生の卒業を見送ってきたのだろう。成人式には,送り出した生徒たちが学校に戻ってくる。校庭の桜の木が大きくなったと思う生徒はいないだろうが、桜の木は生徒たち一人ひとりの成長を,感慨無量の思いで見守っているのだろう。

 

今,賢明学院も卒業の季節を迎えた。28日の第47期生の高校卒業式(証書授与式)から始まり,3月4日の通信制課程の卒業式,そして3月9日の小学校卒業式と続き,最後に14日の幼稚園の卒園式と別れの時が来る。人は,人生の中で卒業という節目の時を,何回迎えるのだろう。幼稚園・小学校・中学校・高等学校・専門学校や大学,大学院等の卒業・修了の節目,そして退職という仕事を引退する人生の大きな節目,また自らがその業を終えるのも節目だと思える。

 

この春,高校を卒業していく諸君は,これからは今まで成し遂げたことによって,卒業と言う節目を越えていくことになる。嫌だからやめるという状態を,卒業とは言って欲しくない。校庭で生きている桜の木のように耐えることを経験し,それを成し遂げた時にこそ卒業と言って欲しい。「業」を修める節目のこの時にこれからの人生を考え,自分を生かす生き方をして欲しい。忠実であること・誠実であることが,卒業できる条件かもしれないと思う。

 

ニューヨーク州立大学病院の壁に落書きされ,今も人々に語り継がれている一編の詩を,卒業していく全ての人と共に味わいたい。

 

大きなことを成しとげるために 力を与えてほしいと神に求めたのに

謙遜を学ぶようにと 弱さを授かった

より偉大なことができるようにと 健康を求めたのに   

よりよきことができるようにと 病弱を与えられた

幸せになろうとして 富みを求めたのに

賢明であるようにと 貧困を授かった

世の中の人々の賞賛を得ようとして 成功を求めたのに

得意にならないようにと 失敗を授かった

人生を享楽しようとあらゆるものを求めたのに あらゆることを喜べるようにと いのちを授かった   

求めたものは一つとして与えられなかったが 願いはすべて聞き届けられた

神の意に添わぬ者であるにもかかわらず 心の中で言い表せないものは すべて叶えられた

私はあらゆる人の中で もっとも豊かに祝福されていたのだ

 

先輩から「大丈夫」をよく見なさいと励まされた。大の中に,丈の中に,夫の中に「人」がいる。逆境の時は,必ず人が助けてくれるから大丈夫と言うのだ励ましの手紙に「大丈夫だ。がんばろう」と書かれていた。

卒園生・卒業生の皆さんこれからの人生「大丈夫」

 

学校法人賢明学院 学院長 中原 道夫