優しい心を育むカトリック教育

2018/03/05

四旬節 しじゅんせつ

今年は,4月1日の日曜日が復活祭の主日になる。カトリック教会は,灰の水曜日(今年は214)から始まる期間を四旬節と呼び,自身の信仰を再確認し強める時としている。四旬節には「40日の期間」という意味があり,イエスが荒れ野で40日間断食をしたことに由来し,それにならって40日の断食という習慣が生まれた。主日(日曜日)には断食をしない習慣の名残で,復活祭の46日前の水曜日(灰の水曜日)から,四旬節が始まることとなっている。

 

今,学院内では幼稚園から高等学校に至るまで,四旬節の実践が続いている。子どもたちは,世界の友達がみんな幸せになれるように,毎日食事が食べられるように,またみんなが学校へ行けるようにという願いを込め,お米の一握り運動や,つけ物デー,粗食の日というSLOGANを,各所属で掲げて実践している。「世界にいるもう一人のお友達」と,幼稚園ではより身近な意識を持たせるように取り組んでいる。

 

 

余っているものを施すことが,奉仕ではない。創立者が私たちに教えたように,同じ立場に立ち同じ願いや思いを共有し,私たちが弱い立場におかれている人を理解し,その為にできる実践をより積極的に行う事が,校訓に示されている奉仕である。自分の持っているものを「はんぶんこ」(分かち合う)出来る人に育てていきたいという希望と,また望みと,そして使命を賢明学院は担っている。

 

四旬節に何度も何度も読んでみたい手紙がある。

コリントの信徒への手紙 一 13章

 

『たとえ,人々の異言,天使たちの異言を語ろうとも,愛がなければ、私は騒がしいどら,やかましいシンバル。たとえ,預言する賜物を持ち,あらゆる神秘とあらゆる知識に通じていようとも,たとえ,山を動かすほどの完全な信仰を持っていようとも,愛がなければ,無に等しい。全財産を貧しい人々のために使い尽くそうとも,誇ろうとしてわが身を死に引き渡そうとも,愛がなければ,わたしに何の益もない。

 

愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず,高ぶらない。礼を失せず,自分の利益を求めず,いらだたず,恨みを抱かない。不義を喜ばず,真実を喜ぶ。すべてを忍び,すべてを信じ,すべてを望み,すべてに耐える。愛は決して滅びない。

 

預言は廃れ,異言はやみ,知識は廃れよう,わたしたちの知識は一部分,預言も一部分だから。完全なものが来たときには,部分的なものは廃れよう。幼子だったとき,わたしは幼子のように話し,幼子のように思い,幼子のように考えていた。成人した今,幼子のことを棄てた。わたしたちは,今は,鏡におぼろに映ったものを見ている。だがそのときには,鏡と顔とを合わせて見ることになる。わたしは,今は一部しか知らなくとも,そのときには,はっきり知られているようにはっきり知ることになる。それゆえ,信仰と,希望と,愛,この三つは,いつまでも残る。その中で最も大いなるものは,愛である。

 

豆知識

 

復活祭(イースター・復活の主日)は,キリストの復活を記念するキリスト教の最も重要な祭日です。復活祭前の準備期間を四旬節と呼びます。古くから,復活祭に洗礼を受ける志願者の直前の準備期間と考えられてきました。また,すでに洗礼を受けた信者も,この期間をとおして節制と回心につとめ自分の生活をふり返ります。

 

カトリック教会では,完全絶食ではないが,大斉・小斉を守る日は灰の水曜日と聖金曜日(復活祭直前の金曜日),小斎を守る日は祭日を除く毎金曜日と定めている。断食については,現在では完全に食事を断つというよりも,十分な食事をひかえることと考えられていて,以下のように「大斎・小斎」があります。

 

大斎・・・・・ 1日に1回だけの十分な食事とそのほかに朝ともう1回わずかな食事をとることができ,満18歳以上満60歳未満の信者が守ります。

 

小斎・・・・・ 肉類を食べないことですが,各自の判断で償いの他の形式,とくに愛徳のわざ,信心業,節制のわざの実行をもって代えることができ,満14歳以上の信者が守ります。

(大斎も小斎も,病気や妊娠などの理由がある人は免除されます)

 

学校法人賢明学院 学院長 中原 道夫