2018/04/23
憧れの教師となって教壇に立ち,生徒に囲まれ,生徒と笑い,生徒と泣き,生徒と共に汗を流す。教師になりたいと思う人は,このような教師生活を夢見て,教師となるのだろう。しかし,夢と希望にあふれた人生の途中で,全盲という予想だにしない出来事に見舞われた,一人の先生がいる。直接会って,話をした事などないが彼の詩に私は,感動した。
彼は28歳の時,右目に網膜剥離を発症し,34歳で左目も失明して,全盲となる。人生のどん底の最中に放り出されたかに見えた彼だが,暫くすると盲導犬と共に養護学校に復職し,2014年52歳で,長瀞中学校の担任として復帰する。「光を失って心が見えた」という全盲先生のメッセージを読んだ私は,彼の教育に対する前向きな強い意志と共に,話の中の家族・友人の心温まる支えに感動した。人と人の繋がりがなければ,この先生の復帰は難しかった事だろう。彼の教師としての強い信念もさることながら,人と人との繋がりが,一人ひとりの人生を支えていると再確認したメッセージであった。
人の心は 作 新井淑則
人の心はどこにある 人の心は心臓に
人の心はどこにある 人の心は頭の中に
人の心はどこにある 人の心は人と人の間にある
その人を思うとき その人を避けるとき
そのひとに気づいてほしいとき その人に無視されたとき
その人を愛するとき その人を憎むとき 人の心はわたしとその人の間にある
確かめてみよう その人に向き合って
その人に微笑んで その人と握手して
わたしとその人の間に心があることを
社会は,人と人との繋がりで構成されている。自分を取り巻く人たちの中には,苦手な人もいれば嫌いな人もいるだろう。しかし,先生がおっしゃるように
確かめてみよう,その人に向き合って。
その人に微笑んで,その人と握手して,わたしとその人の間に心があることを
確かめる,勇気と力を持とう。相手の心を,信じよう。賢明学院で学ぶ,園児も児童も生徒も,そして保護者の皆さんも・・・皆,心を持っている。人と人との間は,断絶ではない,溝でもない,阻害でもない,障害でもない。人と人との間は「心」だ,そして「人間」と文字で著す。私たちと共に神がおられ,平和は人と人との間にあるのではないかと思う。
マタイ18章20節
「二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいる」
ここでは、二人が心を一つにして求めるなら、天の父がかなえてくれることを教えている。「二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいる」という言葉をカトリック学校に学ぶものは忘れてはならない。「わたしもその中にいる」という言葉は、マタイ福音書全体を貫く教えである
1章23節「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。この名は、『神は我々と共におられる』という意味である」
学校法人賢明学院 学院長 中原 道夫