優しい心を育むカトリック教育

2018/05/11

聖母月 ―Maria様ってどんな人―

桜が散ってしまった今,私が住む京都の山々の木々は,新しい葉をつけ,「私はここにいましたよ。」「生きていますよ。」「元気にしてますよ。」とばかりに装いが新たになり,新緑を一層際立たせているように感じる五月になった。

 

すがすがしい風を肌に感じ,半袖で歩くのに最適な時となった。青空には鯉幟が泳ぎ,薫風を感じる。この素敵な五月,賢明学院は聖母月を迎えた。園児たちは,小さな花束を用意して登園し,マリア様を讃える集いに参列する。児童は,聖母月の実践に取り組み始める。自然の営みだけではなく,宗教教育によって学院全体の雰囲気が,より一層新しい息吹に,生き生きとなる月だ。

 

ヨーロッパの各国は,使用通貨が異なり,リラ,フラン,マルク,クローネ等々の小銭で,財布が膨れ上がった時代,イタリアのトスカーナ地方の片田舎の町で,聖母を讃える聖母行列に遭遇したことがある。先頭では白い服を着た少女たちが,隊列を整えて道に花をまき,そのあとを赤ちゃんからお年寄りまで,聖歌を歌いながらマリア像を担いで,村の教会まで行進していた。盛んに写真を撮っていた私を,行列に参加しろと老人が腕を取って,列の中に導き入れてくれた。当時は,黄色い肌をした異国人など,受け入れがたい状態であったはずだが,その老人は私に一緒に歩くように勧め,聖歌集を差し出して,共に聖歌を歌おうと誘ってくれた。小一時間ほどの体験だったが,これが聖母月の実践なのだと悟った。全ての人々が平等に,また共にマリア様を讃えようとする素朴な宗教心が,人と人との間にある壁を取った。壁を取り払うことを意識して,マリア様に倣うのが,聖母月なのだと私は思う。

 

 

聖母月の起源については、諸説あるそうだ。美しい少女を,5月に「メイ・クイーン」として選んでいた行事から,「なんと言っても一番美しいのは,聖母だ」ということで,5月が聖母にささげられる月になったという説や,5月の新緑の美しい季節は,色とりどりの花々が咲き乱れることから,ヨーロッパではこの美しい5月は,聖母にこそふさわしい月と見なされ,「聖母月」と呼ばれるようになったという説もあるそうだ。

 

われらの母なる

「典礼聖歌」より:617

 

われらのははなる めぐみのマリア   みもとにつどえば ひとみなたのし

    なみだのたににも はなさきみだれ   かおりもゆかしく よろこびみたす

 

いばらのかむりに ちしおはながれ   みはははつるぎを たえさせたもう

    なみだのたににも はなさきみだれ   かおりもゆかしく よろこびみたす

 

かなしきうきよの なやみはさりて   たたえのほめうた ひまなくひびく

    なみだのたににも はなさきみだれ   かおりもゆかしく よろこびみたす

 

めでたしみめぐみ あふるるみはは   いまわのときにも いのりたまえよ

    なみだのたににも はなさきみだれ   かおりもゆかしく よろこびみたす

 

学校法人賢明学院 学院長 中原 道夫