優しい心を育むカトリック教育

2018/05/30

人生100年

平均寿命100歳の時代を考える。という番組を見た。印象に残っているのは,次のPHRASEだ。

 

2045年には,平均寿命が100歳に到達すると,予測されている」

「しかも,若くて健康なまま,年をとる時代が来る」

 

人間の遺伝子情報の解析が進み,“老化”のメカニズムが明らかになり,そのメカニズムに働きかける研究と再生医療の進化によって,若くて健康なまま年をとる事が,実現されていくという予測がなされている。社会構造と寿命が延びる事とは,釣り合いが取れているのだろうか。"人は衰え,老い,死を迎える"という常識は,どうなるのだろう。世間では,終活とか,老後の身の回りの整理整頓とかが,声高らかに述べられているが,その一方で寿命が延びた人間は,何をするのだろう。単純に考えても,社会保障,年金,各種生命保険・医療保険などに,直接的な影響が出て来る事は,明白ではないだろうか。この問題を解決するために,就労年齢を飛躍的に延ばす事が社会的に求められるようになり,定年制もなくなるのだろうか。就労年次によって給与が昇給する仕組みは,いずれ廃止となるのではないだろうか。年をとったから見えにくいとか,すぐ忘れてしまうとか,足腰が痛いなどの言い訳は,無くなるのだろうか。いつまでも青年のような体力を,本当に維持できるのだろうか。敬老の日は,何歳以上の人を対象にするのだろう。大学を卒業して何年働けば,引退する事になるのだろう。番組の内容が実現するのなら,2045年までに残されている時間は,30年足らずしかない。今,賢明で学ぶ子どもたちは,科学が進歩した新時代を生きていかなければならない。30年後,平均寿命が100歳に到達する問題への対応を,徐々にでも始めていかなくてはならない。

 

 

大隈重信先生は,「125歳まで生きる」と公言しておられたが,1922(大正11110日,83歳で大往生なさった。平均寿命が50歳に達していない当時としては,長寿と言える。そして「生涯現役」「臨終定年」を実践なさった。「人間は老年になるに従って,いっそう急進的に,また積極的になり,不動明王のごとき火を背負うようにならねばならない」を信条としおられた先生に,倣いたいものだ。

 

先日,久しぶりに立ち寄った書店に,モノクロの写真集があった。気になって開いてみると,100歳を超えた老人の顔と共に一言が載せられていたが,その1ページからは,モノクロ写真でしか伝えられない感情が,伝わってきた。それは,「If I Live To Be 100: The Wisdom of Centenarians」という写真集である。写真集の中の顔は,人生そのものを物語っているし,その一人ひとりの写真と言葉が,人生の道を示してくれている。印象に残った言葉を,皆さんにも伝えたい。私は寿命が延びるより,私だけの寿命を大切にしたいと思う。

 

「今までの人生、後悔なんてひとつもないわ」

「私の長い人生を振り返ってみて、後悔することなんて何もないわ。どうして100歳まで生きていられたのかわからな

いけれど、一度、願いが叶うという井戸の水を飲んだことがあるの。何か起こるなんて思っていなかったけど、私はこ

こにいる。何かの理由があって、私はまだここにいるのよ」(THELMA ARNOLD、101歳)

 

「素晴らしい日々に、当時は気付けていなかった」

「昔はとても素晴らしい日々だったわ。ただ、当時の私はそのことに気付いていなかった、それだけのことなの」

(AUDREY JAMES、102歳)

 

「どうして長生きできたのかはわからないわ。神さまが私をここにいさせてくれる限り、私はここにいるの。でも疲れちゃったら、天国に連れ去られてしまうかもしれないわね」JERALEAN TALLEY117歳)

 

学校法人賢明学院 学院長 中原 道夫