優しい心を育むカトリック教育

2018/11/22

秋の風情“もみじ”

学院横の霞ヶ丘公園に,寄り添うように立つ二本の木がある。夏には真っ青な芝生の上に在り,朝日を浴びて生き生きとした姿を,威風堂々と周りに示している。先月の台風にもめげず,秋を迎えたその木々は,色づき始めた。特に,早朝の陽を浴び,長い影を芝生に伸ばしているその姿は,「間もなく一年が終わるよ。今年は何が出来たんだ」と問いかけているようにも見える。校門の桜の木は,台風の影響で一番太い枝が折れてしまったが,残った枝は紅葉し,生きていることを証している。

 

木々の色づきから秋の訪れを感じる頃になると,子どもの頃に習った「紅葉(もみじ)」の曲を歌詞と共に思い出す。当時その情景描写は,父と登った赤く染まっていた岩湧山の経験と結び付けて,単なる景色として理解していた。中学生になったとき,小倉百人一首の秋のテーマが定期考査に出題されることになり,意味を深く理解しないまま,とにかく丸暗記したことを覚えている。過去を振り返っていると百人一首の中に,紅葉の歌が六首あったことを思い出した。今になるとその歌の意味が理解出来るようになったが,紅葉(もみじ)って不思議な力を持つ木だと思うようになった。紅葉の季節になると,紅葉(もみじ)の名所と言われている其処ここでは、ライトアップされたりして人々を誘なう。紅葉した木々の姿は,紅葉狩りの人々を集める。紅葉と滝で有名な箕面には,紅葉(もみじ)の天ぷらもある。

 

 

「一年の終わりを迎える準備をしなさい。私も間もなく葉を落とし,冬を迎える準備をして,次の春を待ちます。貴方は準備をしていますか」と,色づいた木々に問われているように感じる。

 

平成最後の紅葉と思えば,晩秋の今,もっと多くの人々の足が,紅葉を見に向かうのだろうか。

 

紅葉の様子が,そのまま目に浮かぶと感じる歌。

 

秋の夕日に照る山もみじ  濃いも薄いも数ある中に

松をいろどる楓(かえで)や蔦(つた)は  山のふもとの裾模樣(すそもよう)

 

溪(たに)の流に散り浮くもみじ   波にゆられて はなれて寄って

赤や黄色の色さまざまに   水の上にも織る錦(にしき)

 

作詞:高野辰之、作曲:岡野貞一。1911(明治44)年発表。

 

丸暗記した和歌が,今になって,情景や詠み手の心情が理解出来るようになった。

 

奥山に紅葉ふみわけ鳴く鹿の 声きくときぞ秋はかなしき       猿丸太夫

ちはやぶる神代もきかず竜田川 からくれなゐに水くくるとは     在原業平朝臣

このたびは幣もとりあへず手向山 紅葉の錦 神のまにまに        菅家

小倉山峰のもみぢ葉こころあらば 今ひとたびのみゆき待たなむ    貞信公

山川に風のかけたるしがらみは 流れもあへぬ紅葉なりけり      春道列樹

嵐吹く三室の山のもみぢ葉は 龍田の川の錦なりけり         能因法師

 

 

学校法人賢明学院 学院長 中原 道夫