優しい心を育むカトリック教育

2018/12/18

羊飼いと博士

 

羊飼い

 

イエス様がベツレヘムの家畜小屋でお生まれになった夜,野原で羊の番をしていた羊飼いたちは,「救い主がお生まれになった」という天使たちの知らせを受けました。

 

これを聞いて,彼らはすぐに救い主を探しに出かけます。天使たちが言ったように,飼い葉桶に寝かされている幼子を捜し当てました。羊飼いたちは,救い主を見つけた喜びに溢れ,自分たちが見たこと聞いたことを,町中の人たちに告げ知らせに出かけたと言われています。救い主に出会った喜びを自分だけのものとしないで,多くの人々にこの素晴らしい出来事を伝えたのです。この場面には、真実を真実として伝える誠実さが表され,宣教の大切さが書かれています。

 

これは,私たちに人としての真理の伝え方を教えているのではないでしょうか。事実でないことを誇張したり,作り話として伝えることは真理に反しているのです。私たちは自分のことについても人の事についても、誇張したり「・・・らしい」とか「・・・そうよ」と不確定なことを伝えたり,虚飾して伝えないのが人の道であると諭している場面です。私たちは,話の内容と伝え方によっては,しゃべればしゃべるほど人の道を外れ恥をさらすということに,気が付くことも大切でしょう。

 

三人の博士

 

東の国から来た博士たちは,他国で占星術という礼拝を起こっている人たちでしたが,星の導きによって幼子イエス様のもとにたどり着き,救い主を礼拝し再び自分たちの国に帰って行きました。聖書には彼らは「別の道を通って、自分たちの国に帰っていった」と書かれています。単なる行程と理解するか,救い主と出会い別の人生を歩むようになったと理解することもできるのではないでしょうか。彼らはまったく別の道を生きる人間として、自分たちの国に帰っていたと理解してみれば,彼らが占いに使っていたとされる黄金、乳香、没薬、大切な占星の道具を捧げたという行為は,これからの人生を変えるという意味が含まれていると理解できます。彼らが黄金や占いによってではなく,イエスによって生きる者となったということを意味しているのでしょう。

 

ヨハネの手紙Ⅰの4章16節の神の愛に留まるとは,神様の愛によって始まった新しい人生を享受しその生活を全うし,愛とは無縁な生活には戻らないということです。羊飼いの場面と三人の博士の場面が示唆しているのは 「神は、独り子を世にお遣わしになりました。その方によって、わたしたちが生きるようになるためです。ここに、神の愛がわたしたちの内に示されました。」

 

ヨハネの手紙Ⅰ 4

 7 愛する者たち,互いに愛し合いましょう。愛は神から出るもので,愛する者は皆,神から生まれ,神を知っているからです。8 愛することのない者は神を知りません。神は愛だからです。9 神は,独り子を世にお遣わしになりました。その方によって,わたしたちが生きるようになるためです。ここに,神の愛がわたしたちの内に示されました。10 わたしたちが神を愛したのではなく,神がわたしたちを愛して,わたしたちの罪を償ういけにえとして,御子をお遣わしになりました。ここに愛があります。11 愛する者たち,神がこのようにわたしたちを愛されたのですから,わたしたちも互いに愛し合うべきです。12 いまだかつて神を見た者はいません。わたしたちが互いに愛し合うならば,神はわたしたちの内にとどまってくださり,神の愛がわたしたちの内で全うされているのです。13 神はわたしたちに,御自分の霊を分け与えてくださいました。このことから,わたしたちが神の内にとどまり,神もわたしたちの内にとどまってくださることが分かります。14 わたしたちはまた,御父が御子を世の救い主として遣わされたことを見,またそのことを証ししています。15 イエスが神の子であることを公に言い表す人はだれでも,神がその人の内にとどまってくださり,その人も神の内にとどまります。16 わたしたちは,わたしたちに対する神の愛を知り,また信じています。神は愛です。愛にとどまる人は,神の内にとどまり,神もその人の内にとどまってくださいます。

 

学校法人賢明学院 学院長 中原 道夫