優しい心を育むカトリック教育

2019/01/17

無関心

2013年に,ランペドゥーザ(地中海)で起こった難破事故を思い出した。それは,国境に柵を建設するというニュースを見たからだ。思い出しのきっかけは,柵を建てるという難民に対する行為が,難破事故に繋がったのだ。なぜ経済発展国は,難民の自国への受け入れを拒絶するのだろうか。

 

ボートピープルという言葉を,記憶している人もおられると思うが,内乱や隣国との戦火の為に,家族を守り,生きていくために自国を捨てた難民問題は,アジアでも起こっていた出来事だ。私の学生時代ボートピープルとして,たくさんの難民の方が,大阪にも避難してこられた。私は,ボランティア活動として,彼らの生活用品の調達を手伝ったことがあった。身の回りの物を一切捨て,家も土地も捨て,自国を脱出することが,家族と離散するという結果になったとしても,命だけを守るために避難してこられた。その時の難民の人々は,怯えておられることが,痛いほどわかる表情だった。難民の子どもたちと遊ぼうとしても,私たちに対して警戒心が先に立ち,野球や縄跳びが一緒に出来るようになったのは,数カ月たった頃であった。そして,ボートピープルという言葉を忘れ始めた頃,風光明媚な場所で,2013年に悲劇が起こったことは,皆さんの記憶にも新しいことだろう。

 

2013103日,リビアからイタリアへ難民を運ぶボートが,イタリアのランペドゥーザ島沖で沈没した。ボートは,リビアのミスラタから出港したが,難民の多くは,エリトリア・ソマリア・ガーナ出身であったことが報告されている。イタリア最南端,シチリア海峡のランペトゥーザ島の沖合で,ソマリアやエリトリアから来たとみられる難民を乗せた船から火災が発生,船は沈没した。船にはおよそ400500人の難民が乗っており,情報によると,「各国の救助で155人は生存者として救出されたが,死者は360人以上にのぼるとみられる」と報道された。この事故の裏には,小さな船に想像を絶する数の人を乗せ,自国脱出を望む人たちから暴利をむさぼる,人の命よりもお金を優先する業者が存在したことが判明した。このような悲劇を繰り返さないために,私は今年何をすべきなのだろうと考えた。

 

教皇フランシスコは,即位してからこの地を最初に訪れて,犠牲者のために,海に花束を投げ祷られた。

その時のメッセージは 「他者の窮状に対する無関心は,神に対する罪である」というものであった。

 

「弱者の命を脅かす悪を放置するのは,悪への加担である」

「窮状にある人が身近にいるのに,なかなか見ようとしないのは,罪である」

 

1970年代,ベトナム戦争に対する反対運動が,世界各地で始まった頃。平和運動の一つとして,ピースサイン・缶バッチ・ヒッピーなどが登場したのもこの頃だった。ベトナム戦争では,ナパーム弾によって身体を穴だらけにされたり,炎に包まれて焼かれたりして,死んでいく子どもたちがいるのに,日本では,ぬくぬくとハンバーガーを食べているという状況があるのは「犯罪的」だと,平和運動家に糾弾されたものだ。平和の中においても,他者の窮状に鈍くならない敏感な若者が,増えることを願っている。

 

 

「先進国」でも,職を失ったり家を失ったりして,社会から振り落とされたままの人々がいる。人生100年時代の若者たちが,真理に基づいた生き方が出来るように期待している。

 

学校法人賢明学院 学院長 中原 道夫