優しい心を育むカトリック教育

2019/04/23

新しいものが生じた

 

今年も,復活祭を迎える時が来た。

 

ミサの後に配られる復活を祝う卵は,いくつになっても嬉しいものだ。

子どもの頃にもらった卵と言えば,食紅で色着けされているか,前日に教会に集った子どもたちが,絵を描いたものだった。今年,私はシールでラッピングされた素敵な卵を頂いた。

 

そのシールには,全面にヨーロッパの街角の風景が描かれ,HAPPY EASTER の文字が,カラフルな色で印字されている。そして家々の上空の青空の部分には,「古いものは過ぎ去って,見よ,全てが新しくなりました。聖書」と書かれていた。この聖書の箇所は,コリントの信徒への手紙二 511-21節の一部分からとられたものだ。

 

17  だから,キリストと結ばれる人はだれでも,新しく創造された者なのです古いものは過ぎ去り,新しいものが生じた。18  これらはすべて神から出ることであって,神は,キリストを通してわたしたちを御自分と和解させ,また,和解のために奉仕する任務をわたしたちにお授けになりました。19  つまり,神はキリストによって世を御自分と和解させ,人々の罪の責任を問うことなく,和解の言葉をわたしたちにゆだねられたのです。20  ですから,神がわたしたちを通して勧めておられるので,わたしたちはキリストの使者の務めを果たしています。キリストに代わってお願いします。神と和解させていただきなさい。21  罪と何のかかわりもない方を,神はわたしたちのために罪となさいました。わたしたちはその方によって神の義を得ることができたのです。』

 

過去を否定するのではなく,過去と別れ,そこから新しいものに繋がっていくという,人間が苦手としている事を伝えているこの箇所が,自分の手にした卵に描かれていたのにも何か不思議な縁を感じ,この聖書の言葉を人生の指針と捉えた私があった。

 

奉仕する任務とか,「あなたは誰のために生きているのですか」と問われたら,私はどう答えるのだろうか。「愛する者の為に,生きています」と言えるだろうか。正直,そんな命題を考えずに,日々目の前の問題解決の為に奔走している今日この頃,卵に書かれていた聖書の言葉がふと気になった復活祭だった。

 

『人間が自分で意味を与えないかぎり、人生には意味がない』

Erich Seligmann Fromm(エーリヒ・ゼーリヒマン・フロム)

生誕1900年3月23日

帰天1980年3月18日

 

ドイツ・フランクフルト出身の社会心理学、精神分析・哲学の研究者。マルクス主義とフロイトの精神分析を社会的性格論で結び付けたことで知られる人物。「幸福は徳の証である」という名言を残し,生産的な生活と他人の幸せを願う時,人は幸せになれると説いた。

・愛とは,人と人を結びつける力。

・たくさん持っている人が豊かなのではなくたくさん与える人が一番豊かなのです。

・何かをもらうために与えるのではありません。与える事自体がこの世で一番の喜びなのです。

・誰かを愛するというのは,たんなる激しい感情などではないのです。

それは決意であり 決断であり そして約束なのです。

 

学校法人賢明学院 学院長 中原 道夫